「幽霊でもいいから会いたい」残された遺族の心を救う“死者との再会”
3.11、あれから11年――
2011年3月11日に発生した東日本大震災。その死者・行方不明者は、2万人以上に及び、多くの人が突然、大切な人との別れを余儀なくされた。
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被災した各地では、いつからか被災地に幽霊が出るという噂が広まり、新聞やテレビなどでも取り上げられてきた。愛しい人や家や職を失い厳しい現実の日々を送る中で、“死者との再会”という霊体験を通し遺族たちの心は絶望から救われることになったという。
「大切な人を失った心の状態が見せる錯覚かもしれませんが、それは怖いものではなく、自分の心がふと立ち止まるような、心の休まる瞬間でした」と語る納棺師の大森あきこさんは自身の父親を亡くした後、父の気配をすぐそばに感じるようになったという。
大森さんは4000人以上の死のお見送りに携わった納棺師で、「死」と向き合うプロでもある。これまで納棺師としてご遺族に寄り添ってきた体験をまとめた著書『最後に「ありがとう」と言えたなら』の中で、“残された人にとって亡き人の存在を感じること”の意義について大森さん自身の体験とともに心境を語っている。
その一部を抜粋し、ベテラン納棺師がつづった実話をお届けします。
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私が小学生の頃、心霊ブームで、心霊写真とか怪奇現象がよくテレビで取り上げられていました。ちょうど学校から帰った時間、テレビをつけるとやっていた心霊写真の特集が、私は怖くて仕方がなかったんです。確か、「3時のあなた」っていうワイドショーのコーナーだったかなぁ。
うちは両親が共働きだったので、私が学校から帰ってもひとりか、4歳違いの妹がいるだけです。心細い時間帯にその番組を偶然見てしまった日は、怖くて怖くて。当時の私は怖い気持ちを振り払うため、大好きだったピンク・レディーの曲を全力振り付きで踊るという対処法をあみ出しました。そんな私が納棺師になって、死んだ方のお化粧をしているのですから不思議なものです。
もし幽霊が、亡くなって会えなくなった身近な「誰か」だとしたら、私は子供の頃のような怖さを感じることは、もうないと思います。そんなふうに思えるようになったきっかけは、父の死でした。
父ががんになり、余命が半年と聞いた時、なぜか、そんなはずはないと信じなかった私は、離れて暮らす父のお見舞いになかなか行けずにいました。
父が亡くなったのは宣告通り半年後。最後は白いベッドに横たわり、起きているのか、寝ているのかわからないような薄く開かれた目で、どこも見ていないようでした。母と私と妹も、父の体に触れてはいるものの、話しかけることなくただうつむいていました。私がいくら触れても何の反応もありません。何となく、もうとっくに父はこの病に蝕まれた体からは抜け出ているような気がしました。
父が静かに旅立ってから葬儀が終わるまでの記憶は、曖昧です。
父がタオルでくしゃくしゃと髪を乾かしてくれた感覚
しかし、葬儀が終わり、また実家から離れて普段の生活が始まると、不思議なことに父の気配をすぐそばに感じるようになりました。
小さな頃、髪を洗った後、よく父が髪を乾かしてくれました。タオルで髪をくしゃくしゃと拭いてもらうと気持ちがよくて、とても安心した気持ちになるのです。自宅で髪の毛を洗い、自分でタオルで髪をくしゃくしゃと乾かしていると、不意に、父がすぐ前に立っているような感覚になり、涙が出そうになりました。大切な人を失った心の状態が見せる錯覚かもしれませんが、それは怖いものではなく、自分の心がふと立ち止まるような、心の休まる瞬間でした。
父が目の前に現れたら、何を話そう……。
夜眠る前、暗闇で幽霊に怯えていた小さな頃の私は、もういなくなりました。
震災から2年後に届いた年賀状
東日本大震災は私の地元、宮城県にも大きな爪痕を残しました。宮城県石巻の海は主人と、幼かった子供を連れて、毎週のように遊びに行った場所です。主人がウインドサーフィンをしていたので仲間もたくさんいました。
私の友達も亡くなりました。
同じ会社で働いていた彼女とは同じ年でした。結婚し、子供が生まれたのも同じ年で、仕事を辞め、私が主人の転勤で地元を離れた後も、年に1度の年賀状での近況報告が恒例のやり取りでした。でも震災の翌年、彼女からの年賀状は届きませんでした。
そして震災から2年後、彼女があの日、亡くなったことをご主人からの年賀状で知りました。娘さんを保育園に迎えに行った帰り道、車ごと津波にのみこまれたそうです。
あれから何年分もの彼女への近況報告がたまりました。何より、彼女の死を2年も知らなかったことを謝りたい。亡くなった人が行く世界があるとするなら、向こうの世界で娘さんとふたりで過ごす彼女にも会って話したいことがたくさんあります。
夢や幽霊としてでもいいから会いたい
大切な方を失ったご遺族は、納棺式で、夢や幽霊としてでもいいから故人と会いたい、会いに来てほしいと話します。中には、亡くなった人が幽霊のような姿で会いに来てくれたと嬉しそうに話すこともあります。そんな時、他のご遺族が「私も会いたいなあ」とうらやましがります。怖がる人はひとりもいません。
残された人にとって、亡き人の存在を感じることは、生きるための理由になると感じます。そして私自身も、納棺師という職業のせいか、はたまた歳をとったせいなのか、会いたい幽霊が増えているのです。
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※『最後に「ありがとう」と言えたなら』より一部を抜粋して再構成。
大森あきこ(おおもりあきこ)
1970年生まれ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4000人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。(株)ジーエスアイでグリーフサポートを学び、(社)グリーフサポート研究所の認定資格を取得。納棺師の会社・NK東日本(株)で新人育成を担当。「おくりびとアカデミー」、「介護美容研究所」の外部講師。夫、息子2人の4人家族。