女好きの義父に“洗脳”され…不倫にハマったアラフィフ男 待ち受けていた衝撃の真実

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暴走する自分

 菜美さんとの関係は1年ほどで終わってしまったが、彼には「恋をした」実感があった。

「家庭に迷惑をかけない範囲で恋をするのは決して悪いことではないかもしれないと思ったんです。ストレスを家に持ち込むよりはいいんじゃないかと」

 だからまた恋をした。今度は会社の部下で、15歳年下の真穂さんが相手だった。菜美さんのときより本気度が高かった。これを察した義父からは、「社内不倫はやめろ」と再三、注意された。ところが走り出した彼は自分でも自分を止められなくなっていた。

「彼女のひとり暮らしの家に泊まったこともあります。どうしてあれほど入れ込んでしまったのか自分でもわからない」

 そう言いながらも「暴走する自分」が嫌いではなかったとも言う。

「いけないと思いながら突っ走ってしまったり、恋じゃなくても何かに夢中になって何もかも振り捨ててしまったりという経験をしたことがないんです。何でもほどほどにうまくやってきた人生だった。与えられた場所でがんばれば、何かいいことがあると信じて。葉子と結婚したことも、それによって得た場所で誠実に仕事をがんばってきたことも、僕にとってはごく当たり前のことだった。だけど真穂と知り合って、まじめに生きてきたことがバカバカしくなったというか、枠にはまっている自分が嫌になったというか。義父からは『おまえは狂い咲きみたいなもんだ』とため息をつかれました。そしてとうとう、社内でも僕らの不倫が問題視され、真穂は辞表を出しました。僕は立場上、降格されたけどクビにはならなかった。その後も僕は真穂とつきあい続けました。いっそ駆け落ちしたいと思ったことも何度もあったけど、そのたびに子どもたちの顔を見て思いとどまった。勇気がなかったんだと思います」

 こんなとき大事なのは、勇気より親としての情だろう。勇気をもって駆け落ちしたところで誰も幸せにはなれない。

「真穂とは2年ほど続きましたが、何も進展しないので愛想を尽かされました。あちらはまだ20代ですからね。彼女の失業保険が切れたころから経済的に援助はしましたが、何もかも僕のせいにしてきて。結局、義父がまとまったお金を渡したらしく、彼女は『実家に帰る。さよなら』というメッセージだけ残して去っていきました。義父は『もっとうまく遊べないなら、もう遊ぶな』と。僕は遊んだわけじゃないのに……と不服でしたが、家庭を壊さずにすんだのは義父のおかげでもある。結局、何をやっても義父を越えることはできないのかと、今度は義父が恨めしくなって」

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