プルシェンコ氏の「大統領を信じています」発言 専門家はロシア人特有の反語の可能性を指摘
ソチ五輪の成功
ウラジーミル・プーチン大統領(69)は、ソ連崩壊で混乱したロシアのスポーツ界を立て直した“功績者”でもある。担当記者が言う。
「プーチン大統領が国威発揚として五輪を利用した経緯を見るには、冬季五輪が適切でしょう。1956年のコルチナ・ダンペッツオ五輪から1988年のカルガリー五輪まで、ソ連は全9大会で計78個の金メダルを獲得しました。これは1大会平均で8・6個という数字になります」
ところがソ連が崩壊すると、金メダルの獲得数は減少した。旧ソ連統一チーム(EUN)として出場した2002年のソルトレークシティー五輪は、平均を下回る5個。2010年のバンクーバー五輪では3個にまで落ち込んだ。
プーチンは2000年3月のロシア大統領選挙で勝利し、大統領の座に就く。彼はロシアの威信を復権させるべく、五輪のメダル獲得を重要な政策の一つとして位置づけた。
「特に2014年のソチ五輪は、ロシアにとっては自国開催ということもあり、プーチン大統領はメダル獲得を厳命します。その結果、前回のバンクーバーでは金3、銀5、銅7の計15個でしたが、ソチでは金11、銀10、銅9の計30個と大躍進を果たします」(同・記者)
閉め出されるロシアの選手
自国開催の冬季五輪でメダルラッシュを実現し、プーチン政権にとっては理想的な結果となった。だが、その代償も大きかった。筑波大学の中村逸郎教授(ロシア政治)が言う。
「ソチ五輪でロシアはメダルラッシュに沸き、プーチン政権の目論見どおり国威が発揚されました。しかし、当時のロシアはソ連崩壊の影響が残っており、優秀な指導者は国外に出ていました。スポーツの世界では、選手より指導者の育成のほうが時間がかかると言われます。ソチ五輪の準備期間では指導者不足が露呈し、選手がなかなか育ちませんでした。それがロシアがドーピングに手を染める原因となったのです」
天網恢恢疎にして漏らさず。ロシアの悪事は露見した。ドーピング問題でロシアのオリンピック委員会(NOC)が国際オリンピック委員会(IOC)から制裁を受けたため、2018年の平昌五輪からロシアという国家を背負っての出場はできないことになった。
平昌では「OAR(ロシアからのオリンピック選手団)」、2020年の夏季・東京五輪では「ROC(ロシアオリンピック委員会選手団)」として出場した。
今回のウクライナ侵攻で、ロシアのスポーツ界は世界から一斉に閉め出された。実はプーチン政権になってから、ロシアのアスリートは檜舞台から遠ざかっているとも言えるのだ。
国際パラリンピック委員会(IPC)は3月3日、北京パラリンピックからロシアとベラルーシを「除外」した。国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)も2月28日、ロシア代表と同国のクラブチームの主催大会への出場を禁止した。これにより代表チームは、カタールW杯の出場可能性が「消滅」した。
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