悠仁さまが進学される「筑附高」 卒業生の元CoCo「はねだえりか」が母校を語る

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ふるい落とされる内部生

――そのランドセルには“五三桐(ごさんのきり)”の校章が描かれている。なんでも、明治天皇が行幸された際に“五七桐”を下されたそうなのだが、皇室の紋章であるため恐れ多いと、“五三桐”になったという。もっとも五三桐も、皇宮警察や法務省の紋章として使われる由緒正しい紋である。

はねだ:そうらしいですね。でも、当時は当たり前に小中高と校章はありましたから、あまり意識したことはありませんでしたね。

――もっとも勉強は大変だった。

はねだ:附属とはいえ、小学校から中学へ、中学から高校へと全員が行けるわけではないんです。私のような小学校から入学した“内部生”は、途中から受験して入ってくる“外部生”よりもおっとりしているところがあります。中学も自由でしたが、勉強するもしないもあなた次第という感じです。もちろん先生は厳しくは言いますが、やらなきゃやらないでいいという姿勢なんです。自由に甘えてのんびりしていると、成績は落ちていく。学校側は外部生を多く取りたいようで、進学の度に2割ほどふるい落とされるんです。ですから、必死に残っていくという感じでしたね。

――はねだは無事に高校に進学する。

はねだ:高校になると制服はありませんし、行動も変わってきますね。私の頃と変わっていなければ、筑附の小学校は給食で、中学からお弁当になります。高校になると近所のお茶の水女子大附属の学食によく行きました。ケーキなどもありますからね。

――お茶の水附属には、悠仁さまは中学まで通われた。

はねだ:お茶の水にもご学友がいらっしゃるでしょうから、遊びに行かれるのもいいかもしれません。どんなお弁当を持って行かれるのでしょうか。

――だが、はねだの学校生活は、高校に上がってからガラッと変わる。高1の時に姉が応募した「国民的美少女コンテスト」ではトントン拍子に勝ち進んだものの、最終選考で落ちた。それが悔しくて「パラダイスGOGO!!」(フジテレビ)のタレント養成講座“乙女塾”に応募し、第1期生となった。89年、高2の時にアイドルグループCoCoの一員としてデビューした。芸能活動に対し、筑附高校は反対しなかったのだろうか。

はねだ:私の芸能活動に対して、先生自体は「やってもいいけど、それはアルバイトと同じ扱い。勉強がおろそかになっても自分のせいだよ」と言われた程度でした。

――ある意味、堀越高校よりユルいかも。

はねだ:そうですね。私の芸能活動には同級生も応援してくれました。学校からフジテレビ入りに間に合いそうもない時には、同級生の男の子がオートバイで送ってくれたこともありましたね。筑附は男女の隔てなく、生徒同士、とても仲がいいんです。

――CoCoが売れ出すと、ますます忙しくなった。

はねだ:授業に出られないことも増え、補講も受けましたね。よく覚えているのは、体育の補講で、現場からド派手なメイクのまま学校に戻って、メイクも落とさずにテニスコートの周りを一生懸命走っていたこと。

――修学旅行の宿泊先に、新曲の歌詞がFAXで送られてきたことも。

はねだ:せっかく楽しんでいるのにね。でも同級生たちは気にしてくれて、「練習しなくていいの?」と。

――そんな努力も虚しく、高2の時に進級ができなくなった。

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