プーチンは歩くとき、なぜ左手より右手の振り幅が大きいのか 元公安警察官が解説

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 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、渦中のプーチン・ロシア大統領について分析してもらった。

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 ウクライナ侵攻で欧米諸国から制裁を受けるプーチン大統領。KGB(ソビエト連邦国家保安委員会)に16年間務めていただけあって、考え方は今もスパイそのものという。

「自分が直接見たもの以外は信用しないところがあります」

 と語るのは、勝丸氏。

「自分ではインターネットも使わないそうです。誤った情報が多いからでしょう。情報を傍受される恐れがあるのでスマホも持っていないそうです。メールは、部下に書かせるといいます」

 プーチンは、日本で第二次世界大戦中に諜報活動を行ったソ連のスパイ・ゾルゲに憧れて1975年、KGBに入った。

右手の振りが大きい

「KGB時代は東ドイツに派遣されています。ドイツビールが好きだったそうですが生活は質素だったといいます。1989年11月、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一したのを目の当たりにしています。KGBでの最後の地位は中佐でした」

 1991年、KGBを辞職。同年6月、大学時代の恩師サプチャークがレニングラード(後にサンクトペテルブルク)市長に当選すると、市の対外関係委員会議長に就任し、その後第一副市長に任命された。

 1996年8月、サプチャークが市長選で敗北すると、第一副市長を辞任。糊口をしのぐため、一時期タクシードライバーをやったこともあった。その後、ロシア大統領府から誘われ、モスクワに異動となる。

「プーチンはエリツィン大統領に気に入られ、1998年7月、KGBの後進であるFSB(ロシア連邦保安庁)の長官に就任します。当時、スクラトフ検事総長がエリツィンのマネーロンダリング疑惑を捜査していたため、プーチンはKGB時代の人脈を使ってスクラトフの女性スキャンダルをつかみ、失脚させてエリツィンを守りました。この功績でプーチンはエリツィンから絶大な信頼を勝ち取るのです」

 プーチンは1999年12月、エリツィン大統領の引退後大統領代行となり、2000年5月、第2代大統領に就任した。

 勝丸氏は、プーチンがどんな人物なのか分析したことがあるという。

「公安部の外事1課には、歩き方や表情、姿勢などから、その人物の体調や癖などを分析する捜査員がいます。かつて彼らに聞いた話では、プーチンは、歩くときに左手より右手の方が手の振りが大きいことがわかっているそうです」

 右利きの軍人や警察官は、ふつう右手の振りが大きいという。

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