「高校からは勧誘がなかった」 ラグビー・大畑大介が明かす挫折と転機(小林信也)
平尾誠二の言葉
「中学時代の実績がないから、高校からは誘われませんでした。自分の成長がチームの成長になったと感じられる高校でやりたいと考えて、当時まだ実績のない東海大仰星を選びました。最初は1年の中で最も序列が下でした。足もそれほど速くなかった。50メートル7秒台」
どう打開すればいいか?
「もう一度、足の速い選手になるしかないと決めて徹底的に脚力を鍛えました。練習後も延々と下半身強化。重りを担いで、400メートルトラックをランジで(一歩一歩しゃがみながら)歩いたり。1年後にはタイムが5秒9に伸びて、レギュラーになった。その年に、東海大仰星は初めて全国大会に出たんです」
そこからは徐々に目立つ存在になった。京都産業大で活躍し、神戸製鋼に誘われた。日本代表にも選ばれた。ここでもう一つ、大畑の人生を変えた瞬間がある。
99年のW杯に向けて、怪我の影響で精彩を欠いていた。その時、代表監督の平尾誠二に鋭く胸の内を抉られた。
「お前、どうしたいんや、どうなりたいんや」
ハッとした。代表の座を守りたいばかりにプレーも発想も小さくなっている自分の弱さに気づかされた。
「子どものころ、憧れの松尾雄治さん、平尾誠二さんの名前を学校の友だちは誰も知らなかった。すごく淋しかった。ラグビー少年たちに自分と同じそんな思いをさせたくない」
大畑は弱気の呪縛を振り払い、躊躇なく攻める覚悟を決めた。香港セブンズで独走トライを決めたのは丁度そのころだ。
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