昼は小学校教師、夜は「ママ活」「売り専ボーイ」… 32歳男性はなぜ“副業”に励むのか

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高校時代の挫折と、辛い教員生活

 ノンケでありながら売り専ボーイとして働き、高い倫理観が求められる教師でありながらギャンブルに狂う。ジュンには歪なところがある。だが、育ったのはごく普通の家庭。生まれも育ちも東京で、タクシー運転手の父、専業主婦の母と共に、いまも実家に暮らしているという。小さい頃からスポーツが得意で、高校はサッカーの特待生で進学した。海外で試合もしたことがある。だが、私が「すごいね」と相槌をうつも、浮かない顔だ。

「本気でプロになろうと思っていました。でも、普通に同級生に五輪代表の選手とかいたので……。大学もサッカーで進学したのですが、辞めちゃいました。今ではめっちゃ後悔しています」

 この挫折が、今も尾を引いている印象をうけた。

 夢を諦めたジュンが次に目指したのが、教師だった。高校2年生の時に、職業体験で小学校に行き、教諭が語った「卒業後に会いに来てくれた」「子供のためなら毎日仕事を頑張れる」といった経験が、サッカーをしていた頃も印象に残っていたのだという。

 教員免許を取得し、晴れて教壇に立てたのは20代前半のとき。本当は中学校の体育教師になりたかったが、小学校の方が採用試験に通る確率が高かったから、とジュンは言う。

「でも、小学校の教師は本当に辛い。進路を選ぶときに、そういう辛い部分も聞いていたら、また違う道を歩んでいたかもしれません。子供は好きだし、可愛い。でも子供が好きなだけではやっていけないんですよ。先生になって一カ月が経った5月に家庭訪問をし、やっとそこに気づきました。保護者も自分が新米教師だから心配ではあったのでしょうが、『去年の教師はこういう先生でスゴく良かった』という話を延々と聞かされたんです。教師になって10年くらいですが保護者の『お前を認めない』という態度とはずっと戦っています。他にもしんどいことはあって、たとえば、最近は保護者の虐待がすごい多くなってるんです。僕のクラスではなかったけれど、別のクラスで父親から暴力を受けている子がいました。教師たちも問題視をしているんですけれど、何の対処もできないんです。保護者と揉めたくない、学校の評判を落としたくないということで、校長から『絶対に外に漏らすな!』と禁じられて、結局はうやむやに。うちだけじゃなく、大半の学校がそうだと思いますよ。教師の無力さを感じる場面も、しょっちゅうありますね」

 教員歴が長くなるほど、ストレスが溜まってスロットに行く回数も増えます――とジュンは笑う。

 教員を続けながら、ジュンはずっと「夜」の仕事は続けていたそうだ。慣れない仕事に悪戦苦闘していた新人の頃も、お得意の予約客だけを相手に売り専ボーイをしていたという。月給は20万円を超え、ボーナスも60万円ぐらいは出る。しかも実家暮らしの身である。本人は「給料なんてすぐに無くなっちゃう」と言うが、本当は金だけが副業をする理由ではないのではないのか。

 実は一度、耐え兼ねて教師を辞めたことがあったという。25歳頃のことだ。

「夜の仕事だけで生活していこうかと、現実逃避的に思い立ったんです。でも無理で、また戻りました。バイト感覚とか、たまにならいいんですが、本格的に売り専をやると精神的に病んでしまうんですよ。だから夜の仕事一本でやってる人は尊敬します。あと、実家住まいなので『なんの仕事をしているの?』と親から聞かれて、答えにくいのも嫌でしたね。まあ、いま2丁目はコロナでお客が激減していますから、夜に絞らなくてよかったですね」

「教師」と「売り専」、そして「ママ活」をトリプルでかけもちするジュンのような例はそうはいないが、最近はバイト感覚で「ママ活」をする男性は少なくない。専用のアプリが普及したことで、店の面接もなく、個人で気軽に働くことができるからだ。いまや、性別は関係なく「売る」ことに抵抗がなくなっている。20数年、取材していて感じる大きな変化だ。

 だが、同時に思う。彼、彼女たちはお金だけでなく、「誰かに必要とされたい」という願望や、孤独を埋めるために「売って」いるのではないだろうか。ジュンを取材していて改めてそう思った。

(※本人のプライバシー保護のため取材内容を一部変更しています)

酒井あゆみ(さかい・あゆみ)
福島県生まれ。上京後、18歳で夜の世界に入り、様々な業種を経験。23歳で引退し、作家に。近著に『東京女子サバイバル・ライフ 大不況を生き延びる女たち』ほか、主な著作に『売る男、買う女』『東電OL禁断の25時』など。Twitter: @muchiuna

デイリー新潮編集部

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