「あさま山荘事件」で人質に取られた夫妻の50年 別の保養所で定年まで管理人

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 日本中がテレビ画面に釘付けとなった事件から、この2月で50年を迎える。あさま山荘に立てこもった連合赤軍メンバーは、当時の管理人だった牟田郁男さん(85)の妻・泰子さん(81)を人質に取り、警官隊と10日間に及ぶ攻防戦を繰り広げた。事件に巻き込まれた夫妻の半世紀に迫る。

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「連合赤軍事件の全体像を残す会」のメンバーで、連合赤軍の前身に当たる革命左派の構成員として活動した雪野建作氏が振り返る。

「時代の荒波のなかで我々は機動隊と大立ち回りを演じ、武闘派路線へと傾いた末にあさま山荘事件が起きました。私はその前年に逮捕され、東京拘置所で事件を知りますが、山荘に立てこもったと聞いて“これは敗北だ”と感じました。民間人を人質に取るなんて言語道断です。牟田さんには大変な思いをさせてしまい、申し訳なく思っています」

事件後の生活は

 事件の舞台となった長野県軽井沢町の「あさま山荘」は河合楽器の保養所だったが、80年代に売却され、現在は香港に本部を構える一般社団法人「正生会」が所有する。この団体は、麻薬中毒の青少年を更生させる活動を行っており、香港の少年を山荘に招くイベントも実施している。

 では、“渦中の人”となった牟田夫妻はこの50年をどう過ごしてきたのか。

 夫妻の知人が明かす。

「牟田さん夫妻は、あさま山荘が売却された後も、旧軽井沢にある大手建設会社の保養所で定年まで管理人をしていました。郁男さんは定年後、地元の放送関係の組合で事務員になってね。軽井沢には東京のテレビ局の電波が届かなかったので、観られるようにするために住民たちが立ち上げた組合です。そこを辞めたのが3年ほど前になります」

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