日本で最も有名なウクライナ人「ボグダンさん」が流暢な日本語でキエフからレポートを続ける理由

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小学校、中学校を関西で過ごす

 ボグダンさんは1986年6月24日にウクライナで生まれた。

「チェルノブイリ原発で事故があったのはその年の4月で、僕は母のお腹の中にいました。母はもともとキエフに住んでいましたが、放射能から逃れるために東部のドニプロに避難し、そこで僕を出産しました。放射能の影響なのか小さい頃から体が弱く、医者からは『環境を変えたほうが良い』と言われていたそうです。そこで科学者だった母は日本に研究者としての職を見つけ、僕が4歳の頃に日本に引っ越すことになりました」

 母親が勤務する大学に近い兵庫県神戸市に住み、地域の公立小学校に通った。

「僕が小学生の頃、阪神淡路大震災が起きて神戸に住めなくなり、途中から大阪の小学校に転校しました。その後、中学校までは大阪で過ごしたのですが、ウクライナ語もロシア語も話せなかった僕を心配した両親の助言があり、高校からはウクライナに戻ることにしました」

日本企業に就職

 ウクライナで大学と大学院を修了した後は、日本の企業で働きたいという思いと、ウクライナへの愛着も強かったという。

「日本の大手商社にキエフ採用という形で就職しました。政治関係の情報分析アナリストとして働き、ウクライナの企業案件なども多数手掛けた経験があります。その後、別の日本企業に転職し、名古屋で働いたこともあります。その会社では主に、モスクワなどでビジネスを立ち上げる仕事に携わりました。最近、その会社の方が心配して連絡をくれました。ウクライナのことを色々な形で助けようとしてくれているみたいで、ありがたいです」

 現在はウクライナで会社を立ち上げ、美顔ローラーなど美容健康器具の代理店を営んでいる。

「僕はジャーナリストではありませんし、もともとただのビジネスマンでした。政治の専門家でもありませんが、ビジネスでロシアとの関わりも大きく、ウクライナとロシアの関係にはずっと注目してきました。日本に住んでいた経験から日本人のこともよく分かるので、ウクライナのことを日本語で伝えることはできる。こんな形ではありますが、日本とウクライナの架け橋になりたいという思いを叶えることができて良かったと思います」

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