実はスポ根の藤澤五月、作戦会議は激論… テレビには映らない「ロコ・ソラーレ」の真実

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二つの転機

 ターニングポイントとなったのは89年の「はまなす国体」だった。“北海道の花”をその名に冠する大会で、カーリングはデモンストレーション競技に採用される。それに合わせて常呂町には国内初の室内カーリング場が建設され、“聖地”としての第一歩を踏み出すこととなった。

 そして、次なる転機は2010年。常呂町出身で、現在はロコ・ソラーレの代表理事を務める本橋麻里さんが帰郷したことにある。

「常呂町ではカーリングで食べて行くことはできなかったため、育成したジュニア選手は各地のチームに送り出していました。しかし、本橋さんには“常呂町から世界を目指したい”という志があった。その熱意に打たれた地元の人々の助けもあってロコ・ソラーレが誕生したのです」(同)

 人口3500人の小さな町は、家族のようにチームを見守ってきた。

「ストイックすぎる」藤澤五月の素顔

 吉田知那美が高校時代にアルバイトをしていた、カフェ「しゃべりたい」の店主・宇佐美美保子さんによれば、

「吉田姉妹と鈴木夕湖ちゃんは家族ぐるみの付き合いですね。三人ともいつも明るくて元気いっぱい。知那美は海外留学中も私にバースデーカードを送ってくれて、母の日にカーネーションの花束をプレゼントされたことも。店を訪れた時に私が洗い物をしていると、ササッとテーブルを拭いてくれることもありますね」

 一方、先の松平さんは、笑顔が印象的な藤澤の“スポ根”な一面を明かす。

「彼女がジュニア選手の頃、海外遠征に付き添ったのですが、驚かされたのは、自分の投じた全てのショットを空で言えるくらい正確に記憶していること。それをシートにまとめる際も、“あのエンドの石(ストーン)でミスしたから、次は気をつける”と反省点をびっしり書き込んでいた。とにかく真面目な性格で、誰よりも“カーリングが巧くなりたい”という気持ちが強い。私の知る限り、試合中に笑顔を見せるタイプではなく、そのストイックさが彼女を苦しめたかもしれません。ただ、いまは明るくおおらかなチームメイトたちが、彼女のそうした部分を受け止め、支えてくれているように感じます」

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