いま戦時下が舞台の小説を書く理由 コロナ禍との共通点と相違(古市憲寿)
かれこれ2年になる。世界中が新型コロナウイルスの狂乱に巻き込まれてからだ。当初は「こんな騒ぎは外国だけだ」「せいぜい数カ月もあれば収束するだろう」という見方もあったが、結局は2年間もコロナ時代は続いてしまった。
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僕はこの間、『ヒノマル』という長編小説を執筆していた。昭和18年夏から始まる戦時下の青春小説である。
主人公は15歳の勇二。国家のために死ぬことを夢見る軍国少年だ。彼が出会った歴史学者の娘である涼子は、日本が戦争に負けると言い放ち、自由奔放に振る舞う。価値観が真っ向から対立する者たちの恋愛小説でもある。
幸いなことに、僕には彼らと同世代(アラウンド90)の友人が多い。ある女性は『ヒノマル』のゲラを読んで「戦争ってロマンチックだったのね」という感想をくれた。彼女自身も戦争のせいでひどい目に遭ってはいるのだが、同時に戦争はドラマを生みもする。
まさか自分が80年近く前を舞台にした作品を書くとは思わなかった。社会学の本でも、小説でも、同時代にしか興味がなかった。世界の戦争博物館を巡った『誰も戦争を教えられない』も、今の世界が戦争をどう記憶しているかを描いたものだ。
なのになぜ戦時下の小説か。それは、初めて戦時が同時代、もしくは今の時代の延長だと感じられたからだ。
たとえば息苦しさ。太平洋戦争後期には、一体いつ戦争が終わるのだろうという重い空気が社会に充満していた。熱狂的な意見が幅をきかせ、人々は疑心暗鬼の中、規則を守らない他者を糾弾した。どこかこの2年間と似ていないだろうか。
もちろん相違点も多い。戦時下では、召集令状や建物疎開といった形で、国家が強制的に国民の生活を管理しようとした。一方、今の政府は「自粛の要請」という曖昧な手段でコロナを乗り切ろうとしている。
日本医師会の対応も違った。実は昭和18年暮れから19年にかけて、世界的にインフルエンザが流行していた。イギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルトまで罹患したほどだ。当時の報道によれば、日本医師会は「全国5万の医師全員を動員して恐るべき悪性流感の予防、撲滅に挺身」することを決めたという。
欧米より桁違いに少ない感染者数でありながら、一向に病床が確保できず、医療体制の変革に取り組まず、国民に外出自粛を呼びかけるしか能がなかった令和の医師会とはだいぶ違う。
ただ戦時下でも、特権階級が口では勇ましいことを言いながら、実際にはいい思いをしていた、といった事例は枚挙にいとまがない。その意味で、国民に外出自粛を呼びかけながら、寿司デートをしていた日本医師会会長は、伝統の体現者といえるのかもしれない。
というわけで小説『ヒノマル』は2月22日より全国の書店で発売中。この2年間、世の中の息苦しさを共に経験してきた人たちに読んでもらえたら嬉しい。恐らく論調的にも「週刊新潮」読者には、気に入ってもらえると思う。