軽い気持ちで不倫したら、妻も“仕返し”で不倫のてん末… 41歳男性が語った「覚悟」
子宝にも恵まれ
結婚してからも凌子さんは変わらなかった。ふたりとも仕事優先の生活だが、少しでも時間があけば待ち合わせて食事をしてから帰ったり、信博さんが買い物をして帰宅、一緒に夕飯を作ったりした。
「彼女は思わせぶりなことを言ったりしたりしない。いつも率直でストレート。だから信用できた。ふたりとも結婚を決めてから親に報告、先に婚姻届を出してから親同士も初めて会ったという感じです。そのあたりの感覚も似てるんですよね。家庭環境も近いのかもしれない。ふたりとも地方都市の出身で、大学から東京に来ていて、親はまったく干渉してこない。子どもの頃から自由にさせてもらっていたところも似ていました」
だから同居しても大きな違和感はなかった。些細なすれ違いは、彼女の率直さによってすぐに解消されていたから問題視することにはならなかった。
「結婚して1年ほどたって子どもができました。ふたりで大喜び。ところが彼女はつわりがひどくて大変そうでした。僕は心配するだけで何もできない。男は無力ですよね。僕にできるのは家事をしたり、彼女が食べられそうな食事を用意するだけ。でも彼女はすごく感謝してくれた。さらに妊娠後期には切迫早産で1ヶ月近く入院もしました。凌子にとっては大変だったと思う。それでもなんとか出産にこぎつけた。僕も立ち会いましたが、娘が生まれたときは僕のほうが号泣してしまって……。『泣くな』と妻に叱られましたね」
妻と娘が退院してきてからは、信博さんの勧めもあって、凌子さんの母親が泊まり込みで手伝ってくれた。姑に気を遣うより実母のほうがいいだろうと彼が思ったからだ。
「凌子はおかあさんにすごく甘えていましたね。彼女、3人きょうだいの末っ子ということもあって、実は甘えん坊だったらしい。ただ、18歳で故郷を離れてひとりで上京、大学でも会社でもがんばってきたんでしょうね。突っ張っていた気持ちが急に解き放たれたように、実母に甘える凌子が、かわいいような少しだけうっとうしいような……。僕は少し複雑な気持ちでした」
下心も恋愛感情もいっさいなかったが…
子どもが生まれ、妻も健康状態に問題はなく、さらに妻の母が来て、どこか自分だけ“のけ者”になったような気がしたのかもしれない。ふっと気が抜けたようなその時期、信博さんはときどきひとりで飲みに行くようになった。
「知らないバーにひとりでふらっと入る緊張感と、そこで出会う人との会話が楽しかったのかもしれない。あちこちひとりで行きました。そのころ、うちの部署で働いている派遣の女性が、たまにはバーに行ってみたいというので、じゃあ、今度一緒に行こうかということになったんです」
特に下心があったわけではない。恋愛感情もいっさいなかった。ただ、幼なじみの近所の子に似ていたのだという。
「派遣の女性は当時、30歳くらい。世間話をしていて楽しい人だったから、飲みに行ってしゃべるとホッとできました」
ときおり飲みに行くだけの関係だったのに、4、5回目だろうか。帰り際に彼女がぐらりとよろめいた。あわてて支えたが、顔を上げた彼女の頬が涙で濡れていた。
「どうしたのと言ったら、実はかわいがってくれた祖母が亡くなったと、さっき連絡があった、と。『せっかく楽しく飲んでいるのだし、いずれにしても明日にならないと帰れないから黙っていようと思ったんだけど我慢できなくなって……』って。両親が共働きだったので、彼女はほぼ祖母に育てられたようなもの。大好きな祖母だと。その日はひとり暮らしの彼女の部屋に送っていきました。『少しだけでいいから、一緒にいてもらえませんか』と言われて断れなかった」
そして部屋に入ると、彼女に抱きつかれた。それを振り払うことができなかったのが彼の優しさでもある。その日は一緒にいて、早朝、羽田空港まで彼女を送って行った。出社すると妻にメールをした。
「部署の若手と飲みに行ったら、ひとりが酔っ払い、部屋まで送った。あまりに具合が悪そうだったので帰るに帰れなかった。ちなみに部下は男だよ、と。今までそんなことはなかったから信じてもらえるかどうかわかりませんでしたが、妻は『心配したよー。信ちゃんが無事ならよし』と返信がありました」
当の派遣の女性は数日後、戻ってきたが、信博さんはふたりきりで会うのを避けた。最近誘ってくれないんですねというメールが来たし、面と向かって言われもしたが、「ちょっと忙しくてね」と言うにとどめた。冷たくしたわけではない。なのに彼女は察してくれようとしなかった。
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