オリックス、悲願の日本一へ…“勝負の17年目”T-岡田が見せた「進化の証」
「久しぶりですね」
コロナ禍での取材は、球団側から厳しい制限がつく。
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対面取材でも、一定の距離を置いた上で、話せる時間も5分から10分程度。長引きそうになると、球団広報が申し訳なさそうにストップをかけてくる。グラウンドからロッカー、室内練習場への移動の際に、歩きながらちょっとした会話を交わす「ぶら下がり」も禁止されている。感染予防対策とは分かっていても、物足りなさと窮屈さは、どうしても拭えない。
「あ、久しぶりですね」
2月10日。オリックス・宮崎キャンプの第3クール初日。メーングラウンドの「SOKKENスタジアム」での打撃練習を終え、隣接する第2球場へと移動するため、三塁ベンチ裏に通じる通路から、T-岡田がちょうど出て来た時だった。
私が偶然立っていた場所は、第2球場のライトフェンス近く。そこは、選手に声がけをしてはいけないとされている場所だ。そのまま会話を続けるのは、球団が設けた取材に関するルールでは“違反”なのは分かっている。
ただ、ちょうど話をしてみたいな、と思っていた時だった。
「あの若者をよく見ておけよ」
「浪速のゴジラ」と呼ばれ、まだ「岡田貴弘」の本名でプレーしていた2009年。まだプロとしての実績はほとんどない、若手選手の一人に過ぎない頃だ。
「あの若者をよく見ておけよ。間違いなくすごい打者になるから」
私にそう力説したのは、当時のオリックスの主砲で、近鉄時代の2001年には当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打を放ったタフィー・ローズだった。
その予言通りというべきか、ローズがいなくなった2010年、登録名が「T-岡田」と変わったその年、22歳で本塁打王を獲得した。しかしその後、その「33本塁打」を上回ったシーズンは一度もない。結果が伴わずに苦しみ、球団のポスターや看板から、T-岡田の顔が消えた頃の、深い苦労ぶりも見てきた。
そうした長い時間、そして今も、現在進行形で一人の選手の「浮沈」のプロセスを追うことができている。このプロセスの積み重ねは、見る側としての大きな財産でもある。
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