【カムカム】モモケン親子の精神的和解で見えてきた最終回までの道筋
カギを握るのは算太?
最も身近な先人は親。モモケンと先代の断絶の理由は、若き日のモモケンがテレビに走ったせいだった。
確かに1964年は映画の斜陽が決定的になった年。1958年のピーク時に約11億2700万人いた入場者数が、約4億3100万人に激減した。
半面、テレビは黄金期に入った。理由はこの年の東京五輪。テレビは1959年4月の皇太子様(現上皇様)ご成婚を機に増え、さらに五輪によって一気に普及した。1964年度のNHKのテレビ放送受信契約は1713万件(世帯普及率83.0%)に達した。
先代が前作「妖術七変化」にモモケンを出演させなかったのは新しいものばかりが関心事の息子の目をさまさせたかったためだろう。また、これまで物語の中で繰り返し言われてきた通り、テレビの時代劇はワンパターンであるため、役者の成長には役立ちにくいとされている。
先代が代わりの相手役に虚無蔵を指名した理由は自明。モモケンとは対象的に古くからの時代劇を守り続けようとしていたためだ。セリフはダメだが、殺陣や役者魂はホンモノだったからである。
モモケンは今、映画界にいる。映画にはテレビとは違った良さがあるという先代の思いが徐々に分かってきたからか。それともテレビでの活動に限界を感じたからなのか。いずれにせよ、映画を見限った若き日とは違う。
先代は他界しているものの、モモケンの心境が変化していることから、親子は精神的和解を果たすはずだ。「妖術七変化」をリメイクすることによって、初代が自分を前作に出さなかった理由を知るだろう。
モモケン親子の精神的和解は安子とるいが和解する前兆と見ていいのではないか。フラグが立ったと見る。物語の終盤でメインの登場人物以外の親子和解劇が描かれながら、最大の焦点である安子とるいの話がそのままになるはずがない。
カギを握るのは第79話から再登場中の算太(濱田岳)か。気になるのは第81話でひなたに対し「サンタクロース」と名乗っているところ。安子との独立資金を持ち逃げしたことなどを深く悔い、過去の全てを忘れたいのかも知れない。すると、ひなたが姪孫(てっそん=妹の孫)と分かっても本当のことは言わない可能性がある。
算太は調子が良い一方で気が弱い。第7話で借金取りが実家の和菓子店「たちばな」(岡山)にやって来ると、青くなって行方をくらましたり、戦地のジャングルでも逃げ出したと第32話で振り返ったり。この性格がポイントになると見る。
例えば、調子が良い同士でひなたと親しくなり、回転焼き「大月」に出向いたら、姪・るいがいたとする。33年ぶりの再会だと気づいた時、懺悔する人もいるだろうが、そう出来ない人もいる。算太の場合、愕然とし、遁走するのではないか。
となると、和解のキーパーソンはビリー(幼少期は幸本澄樹)なのか。第66話で初登場し、ひなたがラジオ英語講座を聴き始めるきっかけとなり、第69話で米国に帰った少年だ。
単にひなたが英語を習おうと思う理由をつくるために出てきたとは考えにくい。これまでも無駄を廃し、布石を次々と打ってきた藤本さんなのだから。
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