元公安警察官は見た 32年前の「警視庁独身寮爆破事件」が世間に与えた知られざる影響とは
無差別テロ
前年の1月7日、昭和天皇が崩御し、革労協は機関紙などで、「皇居突入」「即位儀式爆砕」を唱え、即位の礼、大嘗祭の妨害を公言していた。警視庁も11月12日の即位の礼を控え、都内で10月27日から2万6000人規模の厳戒態勢を敷いていた。清和寮も警備対象になっていたという。
「それまでの過激派の殺人事件と違い、特定の人物を狙うのではなく、無差別殺人です。これはヨーロッパやアラブ諸国で起きていたテロと同じです。1発目の爆発で人が集まってきたところで、2発目の爆発が起こる。確実に誰かを殺す目的の許し難い手口でした」
公安部は、革労協に対して延べ16万4000人の捜査員を導入したという。
当時革労協は、大きく主流派と反主流派に分かれていた。
「主流派は150人くらいで、反主流派は70人ほどでした。みな高齢化してきています。革労協のアジト8カ所をガサ入れし、パソコンや書類を押収しましたが、結局、実行犯を特定することができませんでした。死者も出たので、公安とすれば、何とも後味の悪い事件でしたね」
2005年11月、公訴時効が成立した。この爆破事件は、大きな教訓になったという。
「セキュリティに関する意識が大きく変わったのです。この事件の後から、駅などで不審な物があったら、絶対触らないでという警告文を張るようになったのです」
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