「年齢のことを気にしていた自分が恥ずかしい」 女優・中江有里が振り返る30代での大学挑戦
卒論は「自分の家」を建てるようなもの
こうして最初のハードルを越えたから4年生まで続けられたのだと思います。人間、いきなりマラソンを走れないように、学びに関してもトレーニングが不可欠。せっけん作りも学びの訓練であり、必要な積み重ねだったと思います。
そうした過程を経て、本来の目的であった日本文学を勉強するのはとても楽しい体験でした。古代、近世、近代、現代。万遍なく学ぶことができ、卒論のテーマにはハンセン病作家の北條民雄を選びました。
自分でテーマを選択して、問題を提起し、解を導き出して論文を仕上げる。この作業を経験できたことは、今、小説やエッセイを書く際にも役立っていると思います。卒論は、ただ一つの「自分の家」を建てるようなもの。同様に、作品を書くにあたっても独創がなければ「自分の家」は建てられない。論文を仕上げる作業を経験したことで、家を建てる時の「オリジナルの柱」を手に入れたような感覚ですかね。
何者でもない自分
また、大学で学び直したことによって、知識や「柱」を得られたこと以外にもさまざまな気付きがありました。
まず、「何者でもない自分」になれたということ。社会人になるといろいろな立場や関係性があったりして、案外、人間関係の幅は狭くなっていくものです。でもキャンパスに通ってみると、「大学で学ぶ」というひとつの目的のためだけに集まってきたさまざまな人と、立場に関係なく付き合える。職場と家以外の第三の居場所ができたような感じで面白かったですね。
次に、通信教育が主だったからこそ、逆に再認識したのは人に頼ることの大事さです。完全に独学で学びを進めるというのは、やっぱり孤独でかなり難しい。実際、私は大学に入る前の時点でラジオドラマの脚本や小説を書いていましたが、論文の書き方が分からなくて、提出しても何度も撥(は)ねられました。
そういう時、人を通じて同じ学科に通っている人を紹介してもらって、「どうやって勉強しているの?」とアドバイスを乞い、そこから道が開けていきました。通信教育であっても繋がりが大切。
それからは、講義を休んで困っている人がいたら私から声を掛けるようになりました。素直に、私が支えてもらった分、誰かに教えてあげたいなという気持ちになれたんです。利害が絡む社会人になると、こうした関係は結構難しい。でも学生の場合、別に教えてあげることは仕事ではない。純粋に助け合うことができたのも学生ならではの面白さだったと思います。
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