清原和博は沖縄で負傷者を救出! 火災現場から幼子救出、痴漢逮捕も…人助けに協力したプロ野球選手たち
元プロ野球選手の清原和博氏が2月23日、沖縄・読谷の中日キャンプ視察に向かう途中、交通事故で負傷して車道に倒れていた男性を肩に担いで安全な場所まで運び、人命救助にひと役を買った。過去にも、さまざまな形で人助けに協力し、表彰されたプロ野球選手が何人かいる。【久保田龍雄/ライター】
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計5人の命を救う
火災現場で煙が充満する室内に飛び込み、逃げ遅れた幼子を救出したのが、中日時代の山崎武司である。1990年12月19日、愛知県知多市の実家に帰省した山崎は、野球部と相撲部に在籍していた中学時代に知り合った近所のちゃんこ料理店経営者と一緒に名古屋に出かけ、昼ごろ、その経営者の店に戻ってきたところ、隣の精肉店が火事で燃えているのに気づいた。
家の中には2歳、1歳、生後1ヵ月の幼子が逃げられずに残っていた。「子供が中にいる。助けて!」という女性の叫び声を聞いた山崎は、急いで裏の戸口の扉を開けて中に入った。だが、煙がひどかったため、一度外に出て深呼吸してから再び室内へ。近所のクリーニング店経営者と一緒に泣き叫んでいた子供たちを抱き上げて、外で待機していたちゃんこ料理店経営者に渡すという手際の良いリレーで、全員無事救出した。このほか、80代女性と30代女性の救助にもあたり、計5人の命を救っている。
お手柄の山崎は「とにかく必死だった。夢中でやった。5人とも助けられて良かった」と安堵の表情。知多市消防本部は「もし山崎さんらの救出がなければ大変なことになっていた。あの状況の中では、日ごろからスポーツをやっているような人ではなければ、とても飛び込めなかったと思う」(森和政予防本部長)と感謝し、山崎ら3人に安藤嘉治市長名で感謝状を贈ることを決めた。
その後、セ・リーグからも特別表彰された山崎は、翌91年5月9日の大洋戦で横浜スタジアムの場外にプロ5年目の初本塁打を放っている。
深夜のランニング中
痴漢を約400メートルにわたる追走劇の末、捕まえたのが、ヤクルト時代の金沢次男だ。92年8月9日午前0時ごろ、横浜市保土ヶ谷区の路上で、板前見習の19歳の少年が帰宅途中の22歳の女性会社員の後ろから抱きつき、胸などを触る事件が起きた。
そのとき、金沢は前夜の試合(大洋戦)から帰宅後、愛犬を連れ、自宅近くの現場付近で深夜のランニングに励んでいたが、突然後方で「何するのよ。助けて!」という女性の悲鳴が上がった。
金沢が「何事か?」と振り返ると、女性の声に驚いてか、一人の男が慌てて逃げていくのが見えたので、すぐさま、そのあとを追った。途中でたまたま通りかかった22歳の男性会社員にも「痴漢だ。捕まえてくれ!」と協力を要請し、約400メートル追走後、最後は2人に挟み撃ちされる形になった少年は、金沢に手首を掴まれ、“御用”に。間もなく駆けつけた保土ヶ谷署員に強制わいせつの疑いで逮捕された。
期せずして“深夜のセーブ”を挙げた金沢は「一緒に追いかけてくれた人がいて良かった。僕は(約1時間の)ランニングのあとで疲れていたけど、彼の足が速かったので、捕まえられた。犯人は抵抗しなかった。まじめそうな男で、可哀相になったほどだ」と振り返った。
チームの一員のお手柄に、野村克也監督も「ケガとかしなくて良かったな。困っている人がいても、見て見ないふりをする風潮があるなか、金沢がよく勇気を出して助けにいったと思うよ」と感心していた。
それから4日後、8月13日の中日戦、ローテーションの谷間で先発した金沢は6回途中まで無失点に抑える好投で、90年8月以来2年ぶり(先発では日本ハム時代以来3年ぶり)の白星を挙げたが、事件のお陰で深夜のトレーニングが周囲に知れてしまったとあって、「やっぱり努力ってのは、隠れていなきゃ」と照れることしきりだった。
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