「恋人に気を遣わなくなる」ことは問題? ふかわりょうが思う、“履き慣れた靴”と日常

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自転車も最初はいたわりながら生活するのに……

 子供の頃、指をくわえて眺めていた、変速ギア付きの自転車。だから、新しく我が家にやってきた自転車にどれほど胸を躍らせたことか。自分で購入するようになっても、それは特別で、最初はいたわりながら生活します。雨に濡れてしまったらすぐ拭いて、油をさしたり、入念なメンテナンス。雨音が聞こえると、慌てて軒下にしまったり。何より優先して行動していたのに、次第に、まぁいいかとなってくる。雨ざらしでも、自然乾燥に委ねるようになる。倒れようものなら転倒した老婆を助けるように駆け寄って「お怪我はないですか」と起こしていたのに、動じなくなってくる。たとえ中古であっても、買ったばかりの車は、他では得られない高揚感があるもの。大き目の傷なら半年、ほんのちょっとの傷でも、立ち直るまで数週間かかります。それなのに、時間とともに、気にならなくなってくる。多少傷がついてしまっても、数分で気分を回復するようになり……。

 最初は大事に扱っていたのに、だんだん、気を遣わなくなってくる。でも、それは、悪いことではありません。

 テレビ番組でも、ゲストの方が気を遣わずのびのび発言している方が見ていて気持ちがいいです。内容の正しさよりも、清々しさ。言葉がすっと入ってきます。何かに気を遣いながらの言葉は、あまり入ってきません。

「愛し方が変わったんだ」

 そういえば、日本の通貨でもっともパフォーマンスが高いのはどれかを考えたことがあったのですが、私は、500円玉が最も有能という結論に至りました。というのも、1万円札は財布を飛び出した時の喪失感が大きく、使用するときに気を遣います。千円札は、あまり戦力にならない割に崩すときに若干のためらいが生じ、5千円札は自販機で使えないことが多く利便性に欠く。それに比べて、どうでしょう。500円玉。全く気を遣うこともなく、失った時の喪失感もない。それでいて、存在している時の安心感と信頼といったらありません。小銭に交ざっているだけで、小銭チームの層の厚さにもつながる。これほど優秀な貨幣はあるでしょうか。気を遣わない存在というのはとても大事なことだと思います。

 最初はとても気を遣うのに、だんだん気を遣わなくなってくる。雨ざらしの自転車も、傷のついた車も、きっと思うでしょう。前はもっと大切にしてくれたのに、と。そんな時は言い聞かせています。愛し方が変わったんだと。決して大切にしなくなったわけではなく、日常の中に入ったんだと。

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