「恋人に気を遣わなくなる」ことは問題? ふかわりょうが思う、“履き慣れた靴”と日常
買ったばかりの靴に心を躍らせてしまう
ふかわりょうが刊行したエッセイ集『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)は、発売日に即重版するなど話題に。そんなふかわさんがつづる、買ったばかりのときは大切にするのに、次第に「日常の一部」になってしまう現象。これは人間関係にも同じことが言えて――。
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買ったばかりの靴を家の中で履いてはしゃいでいたのは、小学生の頃。いま思えば、一体何がそんなに楽しかったのか。おそらく外で履く前の今日だけ味わえる外国人気分だったのかもしれません。さすがにそこまでしないですが、新しい靴に心を躍らせることは大人になっても同じ。胸を膨らませて紐を通す時間。早く外で履きたいけれど、ずっとこのまま新品でいてほしい。そんな葛藤の末、アスファルトに張り付くラバー・ソウルに、いつもと違う踏み心地を感じて。靴をいたわりながら行動する一日は、おろしたてだと周囲に認識されることが少し照れくさくて。わざと履き慣れた感を出したり、すぐになじまず、靴擦れしてしまったり。雨の日は登板を控え、玄関の三和土に出しっぱなしにせず、下足箱への送迎付き。そんな過保護な生活も、長くは続きません。
新しい靴が「履き慣れた靴」に変わるとき
多少汚れようが、雨の日だろうが、徐々に気にならなくなってくる。玄関に置きっぱなしになり、ときめきが薄れてくると、踵を潰して履いたり、雑に扱うようになってくる。あんなに大切に扱っていたのに。ヨレヨレになり、縫い目も黒ずんで、すっかり気を遣わなくなった時こそ最大のパフォーマンスを発揮しているといえますが、ほんのりさみしくも感じる47歳の冬。
「もう、私のことなんて大事じゃないのね」
「どうしてそう思うんだい」
「だって、私を見る目が全然違う。前はあんなに笑顔を見せてくれたのに、今は無表情。きっともうすぐ捨てられるのね」
「愛し方が変わっただけさ」
新しい靴から、履き慣れた靴に変わる。日常の一部になったということでしょう。お客様扱いではなく、身内になった。遠足のしおりに登場した「履き慣れた靴」。なのに、わざわざ新しい靴を履いてくるクラスメートもいて。自分の家が見えると「あそこ俺の家だよ!」とやたらアピールする者がいましたが、あの顕示欲は一体なんだったのでしょう。
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