「大学院は最高で、地獄だった」 秋吉久美子が明かす50歳を超えての早大大学院生活
イエスとノーがはっきりしている
大学院って「押忍(おす)の世界」だと思いました。教授が黒と言ったら黒、白と言ったら白。そこには、はっきりとした学術的な正解が存在する。
一方、芸能界には観客がいて、こちらがいくら「これは黒です」「白です」と言っても、「いや緑に見える」「赤く感じる」という人がいたりする。大学院ではそういうことがなくて、イエスとノーがはっきりしているのが気持ちよかったんです。
「これが分からない」と言えば、「教授室に行って聞いたほうがいい」「中央図書館に資料がある」「なければ国会図書館に行けばある」と、みんなが教えてくれてパッと答えが出る。口先だけじゃない堅い世界。詩やキャッチコピーみたいに短い言葉で上手く言い表せばいいというのではなく、事実を積み重ねて自分の論を導き出さないといけない。それが大学院でした。
女優が「感性」の世界であるのに対し、大学院は「論理」の世界。そこに「グレー」はない。おかげで、以前よりもさらに嘘つきが嫌いになりました。その分、余計に生きづらくなったかもしれませんけどね。
「もう頭がおかしくなって」
大学院が心地よい場所だったとはいえ、他方では地獄のような世界であったのも事実です。
例えば、地方分権についてのレポートを出すとなれば、芸能界からいきなり来た私に比べたら、公務員の人たちにアドバンテージがあるに決まっています。私には圧倒的に知識と実体験が不足していました。
仕事と線引きをして、少しでも追いつこうと、火曜日と金曜日に授業を集中させて、1限目から最後までみっちり勉強。それも、いつも一番前の席に座ります。そうしないと寝ちゃうから。
そうやって必死に勉強しても、2年目の修了年次に「世界遺産 熊野古道」等を手がかりにして、「調和ある文明へ」をテーマに10万字の修士論文をまとめる時には、もう頭がおかしくなって限界でした。
よりによって、同時期に舞台で私が演じるのはサイコキラーの主人公に影響を及ぼす、アルコール中毒の母親役だったんです。舞台では常軌を逸したアル中、家に帰ればコツコツと10万字を埋める……。暴発しそうでした。もうダメだ、修了は1年延ばすべきだ、と考えていたところに、友人のお母さんから贈り物が届いたんです。「ご卒業おめでとう」と、高価な着物が送られて来ました。これでは、修了は延期できないと思い直し、何とか論文を書き上げて修了することができました。
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