元公安警察官が振り返る「悪魔の詩訳者事件」 バングラデシュ人留学生を逮捕できなかったのは“弱腰捜査”のせいだった
「壇ノ浦で殺される」
警察内部では、バングラデシュ人留学生を拘束することに積極的な人たちと、そうでない人たちがいたため、ICPOに依頼できなかったという。
「積極派は、これは明らかなテロ事件であり、国際捜査の場に持ち込むべきだと考えていました。一方、消極派は、容疑者名を公表することで、イスラム文化圏全体を敵に回す恐れがあると主張していました」
総じて捜査に消極的な意見の方が多かったという。
「積極派はもどかしい思いをしていたようです。実行犯に指示をした者や、下見やキャンパスの構造、五十嵐助教授の普段の行動などを教えた者もいたはずです。殺害計画から実行、逃走、出国まで、すべて1人でやれるとは考えられませんからね」
そこで積極派は、ICPOへの捜査依頼とは別の方法を考えた。
「バングラデシュの日本大使館を通じて、現地の警察に連絡をしてもらいました。ところが、ほとんど協力してもらえなかったそうです。すでに新聞に出ているような情報しか提供してくれなかったといいます。バングラデシュ警察の協力が得られなかったため、事件は2006年7月に公訴時効が成立しました」
ところで事件直前、五十嵐助教授は、なぜか警察の警護を断っていた。
「シーア派の在日パキスタン人のリーダーも五十嵐助教授は許せないと言っていたので、警視庁は茨城県警に警戒するよう連絡していました。そこで茨城県警は、五十嵐助教授に警護をつけた方がいいと言ったところ、断わられたそうです」
もし警察が警備していれば事件は防げた可能性はある。
「捜査の過程で、五十嵐助教授の机の中からあるメモが発見されています。内容は、平安時代末期の壇ノ浦の戦いに関する4行詩でした。メモ帳に日本語とフランス語で書かれてあったそうですが、日本語では『壇ノ浦で殺される』と。フランス語では『階段の裏で殺される』と書かれていました。もしかすると自分に危険が迫るのを察知していたのかもしれません」
勝丸氏は今も、容疑者として浮上したバングラデシュ人留学生が事件に関わった可能性が高いとみている。
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