一枚岩ではないウクライナのロシア感情 西部と東部ではなぜこんなに違うのか

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 FNNプライムオンラインは2月24日午前11時56分、「【速報】プーチン大統領 親ロ派武装勢力支配地域での軍事行動を承認とロシアメディア」と報じ、YAHOO!ニュースのトピックスにも掲載された。

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 一方、アメリカのABCニュースも日本時間の24日正午すぎに、「ロシアがウクライナに侵攻開始」と報じた。

 午後2時には産経新聞(電子版)が「ロシアが全面侵攻、南部に上陸 ウクライナに戒厳令」との記事を配信した。

 多くの専門家が「ウクライナ全土への侵攻」の可能性があるとしている。東欧情勢に詳しいジャーナリストが言う。

「実に複雑な問題で、特にテレビ局は分かりやすく伝えることに苦労しているようです。SNSでも『難しくて分からないけれど、戦争反対』という投稿が散見されます。ロシアとウクライナの問題を理解するには、両国は地理的に距離が近く、かつては良好な関係を築いていたということを知るといいかもしれません」

 最初に距離から見ていこう。それぞれの首都であるモスクワとキエフの距離は、最短で870キロメートルになるようだ。

 国土地理院が発表する「都道府県庁間の距離」によると、東京─北海道(札幌市)は831・0キロ、東京─福岡が880・6キロとなっている。

 確かに近いことがよく分かる。実際、ロシアとウクライナの間に国境を設置する意味がないほど、両国の関係が蜜月だった時代があった。

キエフは「京都」

「冷戦時代、ソ連(ロシア)は東欧諸国を実質的に支配していました。そして当時の東ドイツやチェコスロバキア、ポーランドといった国々には、強烈な『反ソ意識』がありました。“言うことを聞かないと大変な目にあうから従うけれど、本当はソ連なんて大嫌い”というのが本音だったのです。ところがウクライナの人々は、ごく自然にソ連を『兄弟』と見なし、友好関係を築いてきました」(同・ジャーナリスト)

 そもそもロシア、ウクライナ、そしてベラルーシの3国は、キエフ大公国(882〜1240)に文化的なルーツに持ち、その首都はキエフに置かれていた。

 そのためロシア人にとってキエフは、日本で言う「奈良」や「京都」のような、「自分たちの文化が育まれた都市」というイメージがあるという。

「キエフ大公国はモンゴル帝国の襲撃で崩壊しました。しかしその後、ウクライナの東半分は帝政ロシアの領土となります。キエフとモスクワは距離的には東京─札幌間と同じですし、文化的な距離感も関東と関西くらいの違いしかありません。ロシア人にとってウクライナは『ロシアの郊外』というイメージであり、特にロシアと国境を接するウクライナ人は同じ感覚を持っていたと思います。ロシア人とウクライナ人の間に違いを認めず、同胞と考えていた時期もありました」(同・ジャーナリスト)

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