なぜ止められなかった親露派国家承認:米国がキューバ危機以来の情報公開戦術 インテリジェンス・ナウ

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 ウクライナ危機で、ジョー・バイデン米政権はクレムリン(ロシア大統領府)が情報源とみられる高度なインテリジェンスを異例のリアルタイムで公開し、西欧諸国との連帯を維持する工作を続けてきた。

 ロシア軍による「ウクライナ侵攻」の機先を制してかく乱し、侵攻を抑止するのが目的で、情報源を探知される危険を冒した情報工作だった。

 しかし、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はその裏をかき、ウクライナ東部の親露派武装勢力が支配する「人民共和国」を独立国家として承認する大統領令に署名、「平和維持」を口実にロシア軍部隊の派遣を命じた。

 2014年のクリミア半島併合にも酷似したこのやり方は想定内のことだが、なぜ止められなかったのか。情報源保護などをめぐる裏面の激しい情報戦争で、公開できない情報があり、プーチン工作に名を成さしめた可能性がある。これまで、米露情報戦争ではどんなせめぎ合いがあったのだろうか。

ウクライナ要人暗殺計画も

 バイデン大統領が「プーチン大統領は(ウクライナ侵攻を)決断したと確信している」と直接明らかにしたのは2月18日。その前日17日にロシアは自国の安全保障に関する文書を米側に提出、その中で要求が受け入れられなければ「軍事技術的な措置」をとる、と警告していた。22日にプーチン大統領が大統領令に署名し、上院に派兵を提案したことからみて、ロシアの計画実施が迫っていたことを米側も探知していたことは明らかだ。

 これまで米国側が繰り返し「ロシアの侵攻計画」を警告する度ごとに、ロシアは計画を否定。米国は、ウラジーミル・プーチン大統領はまだ侵攻を決めていないと指摘していた。

 現状では、ロシアの軍事計画は緒に就いたばかりで、首都キエフへの空爆などを含めた全面戦争になるのか、戦闘がウクライナ東部のロシア系住民居住区に限定されるのか、など予断を許さない状況となっている。

 現在、米国が警告しているのは、ロシアが侵攻後、ウクライナ政府要人らの逮捕、暗殺の可能性だ。このためウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領に対して国外脱出を勧告しているが、本人はロシア侵攻と戦うため国内に残留を主張している。

 もし、ウクライナ全土に戦争が拡大して、ロシア軍が長期駐留することになれば、現在ウクライナ国民を募集して組織中の民兵組織が米国から武器の供与を受けて、ゲリラ戦を展開する可能性がある。(拙稿2022年1月20日『高まる「ウクライナ侵攻」危機』参照)

 旧ソ連のアフガニスタン侵攻では、米中央情報局(CIA)がサウジアラビア、パキスタン両国の情報機関と組み、世界から集めたイスラム戦士に肩掛け式の地対空「スティンガー・ミサイル」などを供与して、多くのソ連軍航空機を撃墜。1979~89年の10年にわたる戦争で、ソ連軍の撤退を勝ち取った。

 今回は米国が、対戦車でも地対空でも使える携帯式の強力な「ジャベリン・ミサイル」を既にウクライナ軍に供与しており、ロシア軍を悩ませる可能性がある。

最終決定まで再評価を練り直すプーチン

 米国は、ロシアによる攻撃を抑止する目的で、機密情報の意図的リークを続けてきた。

 昨年12月3日付『ワシントン・ポスト』が、米情報筋の情報として報じた「ウクライナを包囲するロシア軍部隊が17万5000人(現在は推定19万人)に達したら多方向からウクライナに侵攻する」とのニュースは世界を駆け巡った。その後も、米情報機関が得た情報に基づく報道が相次ぎ、ウクライナ情勢は緊迫の度を増してきた。

 米側は、プーチン大統領の計画をいち早く公開することによって、ロシア側を混乱に陥れたり、プーチン大統領に侵攻計画を再検討させたりする可能性に期待しているようだ。

 プーチン大統領は何らかの決定をする際に、繰り返し選択肢を再評価し、最終決定まで待たせるという性癖があり、そうした性格を突いて、米国は度々多くの情報を出して惑わせようとしているのかもしれない。

 いずれにしても、こうした「リアルタイム」での積極的な情報公開は異例で、1962年のキューバ危機以来のことだと『ニューヨーク・タイムズ』は伝えている。

 キューバ危機は、最初にジョン・F・ケネディ大統領が「キューバにソ連ミサイル基地建設中」と発表。基地撤去に至るまで、米側が事態の推移をリードする形となった。

省庁間グループ「タイガー・チーム」の結成

 ロシア軍によるウクライナ国境周辺への部隊集結は昨年3月にも伝えられたが、約1カ月後に撤収。米情報機関が今度のような異常な動きを探知したのは昨年10月のことだ。

 最初に動いたのはウィリアム・バーンズCIA長官。11月2~3日、モスクワを訪問、大統領府で安全保障担当高官らとの会談で自制を促し、事態の収拾を働きかけたと言われる。前連邦保安局(FSB)長官で現安全保障会議書記のニコライ・パトルシェフ氏らと会談したとみられる。

 しかし、事態の深刻化は止められず、バイデン政権は国家安全保障会議(NSC)に、アレックス・ビック戦略計画担当部長を中心とする「タイガー・チーム」という特別グループを設置した。

 このチームには国務、国防、エネルギー、財務、国土安全保障の各省と国際開発局(AID)の専門家をメンバーに入れた。外交、抑止といった対策をはじめ、謀略情報対策、サイバー戦略、戦闘開始となった場合の難民対策から、制裁の立案に至る問題も対応する。

 昨年12月には、事態の推移をシミュレーションする机上演習を2度実施した。1回は各省の副長官級、あと1回は長官級の代表が参加した。

 もちろん、インテリジェンス・コミュニティ(IC)もタイガー・チームに協力し、ロシアによる攻撃がロシア人居住区があるウクライナ東部に限定される戦闘から、ウクライナ全土に及ぶ戦闘に至るまで、さまざまなケースを検討している。

同盟結束で支持率挽回を狙う

 NSCとタイガー・チーム、ICに共通する最も重要な課題は、欧州同盟諸国との「連帯」強化だ。2021年8月のアフガニスタンからの米軍全面撤退と、9月にオーストラリア、英国、米国の3カ国の新軍事同盟「AUKUS」結成に伴う失敗がバイデン政権のトラウマになっている。

 いずれも、欧州同盟諸国との十分な協議をせずに進めて、大失敗に終わった。特にAUKUSでは、オーストラリアがフランスとの潜水艦輸入交渉を突然キャンセルして、米国から原子力潜水艦8隻を導入すると発表したことからしこりを残した。

 こうした問題が重なって、バイデン大統領の支持率低下につながり、それに伴い政権の指導力が大きく後退した。

 このため、ウクライナ危機では同盟関係の結束を重視、インテリジェンスの共有を進めた。米国の各情報機関は重要情報でも機密解除し、主要な北大西洋条約機構(NATO)同盟諸国への情報提供を確実に続けた。さらに、議会への情報提供も怠らなかった。

 バイデン政権がこうした努力を通じて支持率挽回を狙ったのは明らかだ。しかし、最新の「ピュー・リサーチ・センター」の世論調査では、「ウクライナ問題でどこを支持するか」との質問に対して「関与しない」が53%、次いで「ウクライナ支持」が43%、「ロシア支持」が4%となっており、米国民の関心度はあまり高くない。

情報共有に積極的なDNI長官

 ただ、インテリジェンスの公開では常に、「情報源」および「情報入手の方法(メソッド)」に関する情報の漏洩防止が障害になる。

 特にプーチン大統領が元ソ連国家保安委員会(KGB)工作員だっただけに、米国が提供したインテリジェンスをロシアが分析して情報源とメソッドを割り出してしまうことを防がなければならない。

 その点で、過去の多くのIC幹部は極めて保守的で、大統領がインテリジェンスの提供を決めても拒否する場合が多かった。 

 2014年のロシアによるクリミア半島併合の際には、当時のバラク・オバマ政権がインテリジェンスを同盟国と共有しようとしてブロックされたケースがあったという。

 バイデン政権はこうした前例を見直し、アブリル・ヘインズ国家情報長官(DNI)、バーンズCIA長官らと再検討した結果、情報を共有することで一致したと伝えられる。ヘインズ長官は昨年11月17日にNATO本部のあるブリュッセルを訪問、同盟諸国との情報共有を確約したようだ。

 ある情報機関高官は「ロシアの活動について、世界がより良い判断ができる情報なら、公表すべきだ」と『ニューヨーク・タイムズ』に語っている。

「クレムリンのスパイ」再建か

 ウクライナ危機でバイデン政権が公表した情報には一部、ロシア侵攻の日をめぐる情報が結果的に事実とは違ったケースもあった。

 実はプーチン大統領は秘密漏洩を極度に嫌っていて、電子機器を使用せず、発言の記録を残すことを禁止することもしばしばあるという。そもそも補佐官に対する発言も少ないので、なかなか本心をつかみにくいようだ。

 しかし、2016年の米大統領選挙では、「プーチン大統領が米大統領選挙を目標に、影響力を行使することを命じた」とする情報をCIAは入手した。

 その情報源は後に、当時クレムリン(ロシア大統領府)職員だったオレグ・スモレンコフ氏と判明した。「プーチン大統領のデスク上の文書の画像をCIAに提供していた」という際どい情報もある。

 CIAは結局、彼が逮捕される可能性があるとして、2017年に家族とともに出国させ、現在米国に在住している。

 この貴重なスパイが渡米したため、CIAはしばらくロシア大統領府内の情報源を欠いていたが、その後情報源を再建したと伝えられている。

 従って、ウクライナ危機に関する高度な情報は人的情報(HUMINT)から得ている可能性が十分ある。しかし、それでもなおプーチン大統領の本音はなかなか掴めないようだ。

侵攻の背景にプーチン大統領の「自信」

 プーチン大統領はなぜウクライナを侵攻しようと考えたのか。恐らく、米インテリジェンス・コミュニティもまだその解答を得ていないようだ。

 ただここに来て、プーチン大統領は、ロシアの軍事力が強大となり、ウクライナに対して強力な強制力を持つに至ったとの自信を深めたとの情報がある。

 また、外貨準備高も2月の時点で6396億ドルと、中国、日本、スイスに次いで4位を維持している。石油・天然ガスの代金を貯めた結果とみられる。その上石油・天然ガスの市場価格は急騰しており、ウクライナ侵攻後、制裁を受けて、西欧向けパイプラインが閉鎖されても当分は困らない、というのだ。

 2014年のクリミア半島併合後の西側の制裁後、西側との貿易は減少したが、中露貿易は2015年の680億ドルから昨年は1470億ドルと2倍以上になり、中国への武器輸出も増えている。

 さらにウクライナ危機で「NATOの東方拡大」という問題が注目されたことも、プーチン大統領を強気にさせたとの報道もある。

 米情報機関はこうした疑問にも答えるべきだろう。

春名幹男
1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

Foresight 2022年2月24日掲載

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