「袴田を見た」という同僚の証言が徐々に消された理由【袴田事件と世界一の姉】
早々に浮上した「某」「H」
さて、事件に戻る。1966年6月30日未明の大事件。静岡新聞は7月2日の夕刊で〈えんこん説強まる〉とのタイトルで、〈現場検証の進展につれて物とりの線は次第に薄れ、えんこんの線が濃くなってきたようだ〉とする。さらに〈2日午前の捜査会議では(1)本さん方工場の全従業員三十七人については犯行当時のアリバイがある。((2)以下略)。しかし、同本部としては、家の中が表から裏まで、同じように燃えていることは殺してからガソリンなどの油をあちこちにまき、火を着けたと見られ、凶悪な手口から『えんこん説』が強いと見ている。えんこんとすれば、橋本さん一家と深いつながりがあるものとみられ、こんごはまだ終わっていない同工場退職者関係のアリバイ、従業員アリバイの裏付け捜査を中心に犯人の割り出しにつとめる〉とする。
だが7月4日の夕刊では〈従業員某(重要参考人)を調べる〉の見出しで、〈捜査本部では、四日、橋本さん宅工場などの家宅捜索の結果、従業員某(三一)のへやから有力な証拠品を発見押収、某を重要参考人として調べている。某は浜北の出身で、最近まで清水市に下宿し、同市仲町のバーに勤め、ボクシングの選手だった〉と記している。関係者が読めば巖さんだとすぐわかる。
ひで子さんは当時をこう振り返る。
「アパートでテレビのニュースを見ていたら、Hが、とか言い出した。聞いていれば巖のことだとすぐわかった。仰天して勤め先に『しばらく休みます』と連絡して浜北の実家へ行こうとしましたが、重たいおもしを乗せられたように体がずしっと重くなってしまいました。電車に乗ることができず、タクシーを呼びました。実家に帰るともう、新聞記者たちがたくさん門の周りにいたものだから、裏口からそっと入りました。もちろん、優しい巖がそんな大それたことするはずがないし、何かの間違いだと思っていましたが、記者に聞かされたのか、母(ともさん)も暗い顔をしていましたね」
消えたアリバイ
ここでは事件前後の巖さんのアリバイについて検証しよう。
静岡地裁で始まった裁判で、弁護側は巖さんについて「事件発生の前日6月29日夜10時半頃、寮の自室でテレビの『半七捕物帖』を見終り、11時過ぎ消灯し出入り口の戸を開けたまま一人でパジャマを着て就寝した」との冒頭陳述をしている。『半七捕物帖』は1966年当時、TBS系の静岡放送(SBS)で放送された長谷川一夫主演の時代劇ドラマ。当時、寮では他の部屋より広い巖さんの部屋にだけテレビがあり、仕事が終わると4人いた寮の仲間たちがよくテレビを見に訪れた。
巖さんのアリバイについては、第二次再審請求審で弁護団が2013年12月2日付で静岡地裁に提出した「最終意見書」が鍵になる。「提出日の朝まで必死に原稿を点検しましたよ」とは「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長。事件発生直後に巖さんや従業員たちが警察へ供述した調書を検証したものだ。静岡地裁での一審以降、裁判所に全く提出されなかったこれらの調書は2013年12月に初めて検察側から証拠開示された。
弁護団が「新証拠」として裁判所に出し、約4か月後(2014年3月27日)に村山裁判長の歴史的な再審開始決定と釈放措置が出された。
まず巖さんの7月4日の供述(一部引用)。
{火災発生前}
6月29日午後5時に仕事を終え、橋本専務宅で佐藤省吾と食事をした。その後会社の風呂に入り、二階十畳間の自室で岩崎和一とテレビを見た。最後に見たのが『半七捕物帖』で10時半に終わった。岩崎は(ママ)帰って間もなく、向かい部屋の佐藤省吾、松浦光男が帰ってきた。その後、井上利喜雄がきた。佐藤の部屋に行くと、(筆者注・井上が)子供が熱を出したと言っていた。佐藤の電話か車を借りに来たと思った。午後11時ごろ寝た。同部屋の佐藤文雄は専務の母の家に留守番で行っていた。
{火災発生後}
消防車のサイレンで目を覚ました。松浦、佐藤省吾がガタガタ階段の音をさせて出てゆき、私も起きてあとから出て行った。パジャマの上下にゴム草履をつっかけていた。専務宅の裏口の戸の上あたりが赤く燃え上がり、消防の人2、3人がいてホースをつないでいた。そっちへ飛んで(走って)いった。専務方土蔵の裏に物干し台があり、村松(喜作)が(中略)物干し台へ上がっていくところだった。それに続いて私も草履履きのまま(中略)物干し台に登った。(中略)屋根伝いに北の方にわたっていくと、屋根の上に温水器のついているところがあった。温水器の近所に消防団の人がいて先に行けず、引き返そうと思った時、ぬれたトタン屋根に足をとられ、頭から前のめりに転んだ。(中略)左手中指を怪我していたので、物干しを降り、事務所へ行った。救急箱のバンソウコウを切って巻いた。(中略)それから座敷へ上がり、奥の部屋までくると、二人の死体が抱き合って倒れているのを見た。(中略)道路に出ると、誰かがびしょ濡れだというので、寮に帰り作業着に着替え、パジャマは風呂場の横の樽の中にふろ水を汲み、中でゆすぎ、絞って、寮の二階から屋根に出る物干しに干した。
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