信じがたい偶然で「妻の過去」が明らかに… 41歳が“男泣き”で離婚届を出したてん末

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子供が生まれ開いた“地獄の入り口”

 自分の心の中にあったものを話すと、急速にふたりの距離が縮まった。会えば会うほど、相手のことを知りたくなり、自分のことを知ってもらいたくなったと彼は言う。1年ほどつきあったころ、結婚したいと彼は沙映子さんに言った。

「彼女は、私もと言ってくれたけど、少し浮かない顔でした。どうしたのと聞くと、『実は実家とは縁が切れているので、結婚式はしたくない』と。実家はお母さんがひとり暮らしで、妹さんは結婚して近所にいると以前は言っていたんですが、ほかにも事情があるらしい。でもそのときの僕には、どうでもよかった。彼女と一緒になれればいい。ふたりだけで婚姻届を出して、あとは友だちを呼んでパーティでもしようということになりました」

 亮司さんは勤務先の同僚や先輩、学生時代の友だちなども呼んだが、沙映子さんの友人はカフェの同僚がひとりと、もう1カ所のバイト先からひとりだけ。

「私はメンタルをやられて会社を辞めた。そのときに学生時代の友人とも切れちゃって、と彼女は言いました。『いいよ、これから共通の友だちが増えていくよ』と慰めました」

 彼が34歳、彼女が28歳での結婚だった。結婚すると彼女はアルバイトを辞め、今までの貯金で専門学校に通い始めた。そして1年後に資格を得ると、本格的に仕事を探した。

「彼女は社会人としてちゃんと働きたいという思いがあったようです。僕は無理することはないと言っていましたが……。僕は彼女との生活が楽しかった。彼女は料理が得意なんですよ。でも片付け関係は苦手。僕は掃除や片付けが苦にならないので、部屋の掃除から食事の後片付けまでやっていました。補完しあえる関係というのかな。彼女は繊細なところがあるけど、大雑把な僕といると少し気が楽になったようですね」

 結婚したことは父と母に電話で知らせた。ふたりともおめでとうとは言ってくれたが、「ふたりで会いにおいで」とは言わなかった。当時、母は再婚した夫ともめごとがあったようだ。父は亮司さんとは会ってお祝いもくれたが、「今度は妻と3人で会おうよ」という息子の言葉には「照れくさいからいいよ」と遠慮した。

 沙映子さんは結局、契約社員として働き始めた。正社員になる道もあったので張り切っていたという。

「ただ、僕は子どものことが気になっていました。40歳前には子どもがほしかった。沙映子ともよく話し合いました。彼女はあまり子どもをほしがっていなかったけど、僕の願いを聞き入れてくれた。2年半前、やっと子宝に恵まれました。沙映子によく似た女の子だった」

 両親に知らせると、まず母が飛んできた。沙映子さんとも初めての対面だ。

「ごめんね、今ごろになって。孫の顔はどうしても見たくてと。数日後、やってきた父は、いきなり固まっていたんです。どうしたんだよというと、『いや、おまえが父親になったのかと思うと……』と言葉を濁していました。息子の奥さんがきれいな人でびっくりしただろと僕はこのとき、軽口を叩いていたんですよ。沙映子がどんな顔をしていたか、記憶はまったくないんですが」

 これが“地獄の入り口”だったと、亮司さんは言う。まだ彼自身も知らなかったことではあったのだが。

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