天皇誕生日 62年前の味わい深い新聞・雑誌の「ご誕生報道」と「9枚の秘蔵写真」

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上皇さまの“育児改革”

 里子にこそ出さなかったが、赤坂離宮に東宮御所を設置。当時の侍従長と2人の傳育官(ふいくかん)が一種の里親として、皇太子さまの養育に当たった。

 週刊テレビ時代は前出の記事で、皇太子さまがご学友の自宅を訪問された際、《「君たちはいいなあ。両親といっしょに住めるなんて」畳の上で大の字になって、つぶやいた》というエピソードを紹介している。

 こうした昭和天皇の“改革路線”が影響を与えたのだろうか、皇太子ご夫妻も「高校ぐらいまでは手元で育てたい」との考えを早くから表明されていた。

 更に乳人制度を廃止された。美智子さまが昼も夜も浩宮さまに授乳されたのだ。

 こうした「新しい皇室の新しい子育て」は国民が大きく注目し、マスコミも多くの記事を報じた。

 その中から、平凡(1960年12月号)が掲載した「パパはボクの“おむつ”も替えてくれます」の記事をご紹介しよう。

 もちろん、タイトルにある「パパ」は皇太子さま、「ボク」は浩宮さまを指している。内容は、当時の東宮侍医長と、美智子さまのご学友2人、そして女優の扇千景(88)と長谷川裕見子(1924~2010)の5人による座談会だ。

 皇太子さまご夫妻の“庶民的”な子育てだけでなく、浩宮さまが幼い時から“優等生キャラクター”だったことが分かって非常に興味深い。

泣かなかった浩宮さま

 美智子さまが様々な工夫を凝らしながら子育てに励んで折られる様子を、侍医長は次のように語っている。

《非常にいいアイディアだと申上げたことがあるのですよ。浩宮さまを一人でねかしておおきになるでしょ。そうすると目が覚めてもわからないのです。それで揺り籠のかさのところから、赤ちゃんが手を出すと、とどくくらいの長さの赤いリボンを下げ、そのリボンの上の方に鈴とかカラカラなるオモチャがついているんです。とても寝起きのいい赤ちゃんですから、お目がさめても泣かないのですが、目の前に赤いものがみえるので、取ろうとしているうちに、リボンが指にからまったりして振るとガラガラ。隣の部屋に妃殿下がいらして、ああ起きたわ。(笑)》

 ご学友の一人が《お泣きにならないですか?》と訊くと、侍医長は《あまり泣かない赤ちゃんですね》と回答。別のご学友が《生まれながらにお行儀がいいのね》と感心している。

 誕生時は《ご体重は二五四〇グラム》(朝日新聞・1960年2月24日)と報じられ、体重が少し軽目という声もあった。

 ところが、浩宮さまは食欲が旺盛で、あっという間に大きくなったと侍医長は座談会で明かしている。

《背も高くて六十八センチを超しておりますし、目方は八キロ八百近く。標準よりずっと大きいです。》

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