天皇誕生日 62年前の味わい深い新聞・雑誌の「ご誕生報道」と「9枚の秘蔵写真」

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「男の子、それはよかったなあ」

 当時、皇太子だった上皇さまも、男児誕生の一報には感慨を持たれたようだ。先に紹介したサンデー毎日の記事には、以下のように記している。

《「男の子、それはよかったなあ」渋谷常盤松の東宮仮御所で、山田侍従長から男児誕生の知らせを受けたとき、皇太子さまの口もとは思わずほころび、それからまたソファーに深々と身をうずめ、テレビの臨時ニュースに見入られた。こみあげてくる喜びをぐっとこらえておられる様子だったという。》

 お生まれになるのは男児か女児か、世間の関心も高かった。週刊女性(3月6日号)は「ご誕生の宮は『皇子』か『皇女』か? ご出産をめぐる話題を追って」の記事で、5人の占い師に予想を依頼している。

 結果は、1人が予想を拒否、3人が皇女を予想し、皇子と断言した占い師は1人だけだった。

 昭和天皇(1901~1989)も孫の誕生を大変に喜ばれた。とはいえ、ストレートにお気持ちを表すことは、控えておられたようだ。

 週刊サンケイ(3月14日号)に掲載された「浩宮さまの十日間 ご誕生をめぐる8つの話題」には、以下のような記述がある。

喜びを我慢された昭和天皇

《宮内庁記者団に意外のことが一つあった。自動車を降りられ、村山病院長のご案内で病院玄関を登る陛下の表情が堅いことだった。こども好きの陛下のことだから、それも内孫の初対面のことだから、きっと相をくずした陛下のお顔だろう、と記者団はあらかじめ頭に情景を描いてお待ちした。しかし案に相違したのである。》

《ところがである。お帰えりには、陛下はうれしくて、うれしくてたまらない。どうして自然にほころびる笑いをこらえようか、というようなご表情で病院を出てこられた。玄関正面に待ち構えたカメラマンたちは、陛下が微笑をがまんされるため、口もとに力を入れられているのを見て、シャッターを切っていた。》

 ご誕生から1週間が経過したため、週刊サンケイは「浩宮さま」とお名前をタイトルに入れている。

 宮内庁がお名前を発表したのは、“お七夜”にあたる2月29日。各社は「浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)親王殿下」と報じた。

 一般庶民とは違い、天皇家の名付けは大変だ。その内幕を詳細に伝えた記事がある。先に触れた週刊サンケイ(3月14日号)の特集記事だ。

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