天皇誕生日 62年前の味わい深い新聞・雑誌の「ご誕生報道」と「9枚の秘蔵写真」

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 2月23日は天皇誕生日だ。1960(昭和35)年2月23日の朝日新聞は、1面トップに「美智子妃、ご入院 今暁一時五十分、宮内庁病院に 一週間早くご出産か」の記事を掲載した(註:以下、役職や肩書などは基本的に当時のまま)。

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 美智子さまの入院で、報道陣は大騒ぎになった。22日に担当医が記者会見を行い、「予定日は3月1日」との見解を明らかにしていた。このことから全くの“ノーマーク”だったのだ。

 サンデー毎日(3月6日号)は「親王さま ご誕生 新しい皇室作り はじまる」の特集記事を掲載したが、その中で右往左往するテレビ記者の姿を描いている。

《「ご予定どおり三月一日ごろ」と発表があって、ホッと一息ぬいたところに、緊急発表だから、上を下への大さわぎ。「名医もアテにならない」などとボヤキながら報道部員に総動員をかけた。》

《ちょうど日本テレビでは二十二日の夜十一時ごろまでかかって“緊急動員”の予定表を作った直後、家に帰ったとたん、ホンモノの動員が来て面くらったそうだ。》

 新聞記者の狼狽ぶりを描いたのは、週刊サンケイ(3月7日号)の記事「世紀のご出産行進譜 特集 親王さま、ご誕生! このお慶び その前後の廿四時間」だ。

《宮廷記者が自宅でたたき起こされ、宮内庁にかけつけるまでのツナギに一番乗りをやった連中は、サツまわりの事件記者だったり、労働省詰めの労農記者だったりした。大方はノーネクタイ、皇室用語にも“弱い人”たちばかり。》

「四時十五分、男だ!」

 宮内庁が正式に入院を発表する会見を開いたのは、23日の午前4時ごろ。この時の宮内庁記者クラブには200人以上の記者、カメラマン、テレビスタッフが集まっており、まさに立錐の余地もなかったという。

 もちろん全員が徹夜明け。だが、ご出産の発表はまだだった。

 週刊読売(3月6日号)の記事「“新宮さまは男の子!” 皇太子ご夫妻の喜びと責任と…」によると、「陣痛は強さを増し」、「いよいよ強さを増し」という発表が1時間おきに繰り返されるだけだったという。

 夕刊の締め切りが迫る時間帯は、新聞記者が殺気立つ一幕もあったようだ。

 そして午後4時38分、遂に浩宮さま(現在の天皇陛下)の誕生が発表された。

《発表文の全文はかねて当局からガリ版ずりで記者団に渡されてあり、「午後四時十五分」の記入と、親王、内親王とならんで印刷されてあった「内親王」を消すだけの作業が、胸にピンクのリボンをつけ、発表室に入れた各社二人の“誕生記者”作業のすべてであった。》

《時間と親王であることを確認した“誕生記者”は、赤ジュータンの廊下を横っ飛び、かねてかけ放しになっていた自社の電話係記者に、「四時十五分、男だ!」とどなった。電話係がこれをそのまま社の電話係にどなると、編集局からは「男だ! 男!」のざわめきが聞こえてきた。》

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