追悼・西郷輝彦さん LINEで知人に明かした「今度こそやりたい」と強調していたこと

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「佃次郎」で魅力を発揮

 デビュー曲は「君だけを」(1964年)。17歳の時だった。市立鹿児島商業高を中退して芸能界入りした。

「学歴がないことが仕事にマイナスになってはならないと考えていて、驚くほど勉強家でした。大抵のことに詳しかった。誰もかなわなかったのがITの知識。例えばスマホのことは知り尽くしていた」(同・民放OB)

 93枚目のシングル「燃えろ夜明けまで」(2013年)が遺作となってしまった。

 俳優としての評価も極めて高かった。1973年には故・花登筺さん原作の主演ドラマ「どてらい男」(関西テレビ、フジテレビ系)が大当たり。体1つで商いを成功させる男の物語で、4年も続く異例の連続ドラマとなった。

 熟年期に入った後の魅力が存分に発揮されたのが、主演シリーズ「火曜サスペンス劇場 警部補・佃次郎」(1996~2005年)。故・夏樹静子さん原作のミステリーで、高視聴率だったため、続編が次々とつくられ、最終的に計21本も制作された。今もCS放送のAXNミステリーで繰り返しアンコール放送されている。

 最初の妻は歌手の辺見マリ(71)で1971年に結婚したが、1981年に離婚。2人の子供はミュージシャンの辺見鑑孝(48)とタレントの辺見えみり(45)。

「西郷さんとえみりさんはとても仲が良い。えみりさんはショックを受けているはず」(西郷さんと親しい芸能関係者)

 1990年には当時、家事手伝いだった女性(56)と再婚し、女優の今川宇宙(25)ら3児をもうけた。

 西郷さんと親しい芸能関係者によると、夫人は豪州に付き添い、帰国後も病院に通い詰めるなど献身的に西郷さんを支え続けたという。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮編集部

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