追悼・西郷輝彦さん LINEで知人に明かした「今度こそやりたい」と強調していたこと
歌手で俳優の西郷輝彦さんが20日、前立腺ガンのため、都内の病院で死去した。75歳だった。西郷さんは日本では未承認のガンの最先端治療を受けるため、2021年4月末に豪州へ。昨年9月下旬に帰国し、同10月から入院していた。
西郷さんが都内の病院に入院したのは昨年10月。西郷さんと親しい芸能関係者によると、前立腺ガンの治療のため訪れた豪州から同9月下旬に帰国したものの、自宅で「気分が悪い」と訴え、病院に搬送された。
病院では「肺に水がたまっている」との診断を受け、治療を受けた。その後、回復に向かい、今月末には退院する予定だったが、容体が急変した。
西郷さんと30年以上付き合いがある民放OBによると、昨年8月時点ではLINEで「コロナの状況もあるけど、11月にはコンサートをやりたいんだ」と意思表示していた。
2020年3月に東京・中野サンプラザで予定されていた「デビュー55周年記念コンサート」が、コロナ禍で2021年2月に延期され、さらに中止になったことを、ずっと悔しがっていたという。「今度こそやりたい」と強調していた。
西郷さんに前立腺ガンの診断が下されたのは2011年。ほどなく全摘出の手術を行った。
その後、自覚症状はなく、西郷さんは寛解を信じていたが、2017年に転移が確認されてしまう。翌3月の博多座公演「舞妓はレディ」は降板した。
「あの時は抗がん剤投与や放射線治療、ホルモン剤治療など考えられることは全てやっていた」(民放OB)
抗ガン剤治療と放射線治療、ホルモン剤治療を計14回受けたという。
「けれど、良くなったと思うと、また悪くなってしまう。その繰り返しだった」(同)
ガンとの戦い
共演者らには伏せられていたが、ラグビーに理解のある自動車メーカー社長役で登場した2019年のTBS「日曜劇場 ノーサイド・ゲーム」(2019年)にも通院しながら出演した。
「辛抱強い人です」(民放OB)
だが、我慢にも限界があった。2020年に入ると、親しい人に痛みを訴えるようになったという。
無論、主治医に相談。すると、日本では未承認だが、豪州や米国などでは許されている「PSMA標的療法」の存在を教えられた。
PSMAとは前立腺ガンの細胞の表面に存在するタンパク質。PSMAに結び付きやすい物質と治療薬を組み合わせると、ガン細胞に治療薬がダイレクトに届くという。
費用は約1000万円。西郷さんは迷った末、豪州シドニーでの治療を決心する。前立腺ガンのステージは4だった。
渡豪したのは昨年4月末。その際、出国がガン治療のためであると所属事務所を通じて公表した。
この治療は1カ月半ほどの間隔をおきながら3回行う。1回目の治療は劇的に効いた。腫瘍マーカーの値が急に好転した。
治療は点滴のみ。このため西郷さんは「これだけか」と驚いたという。入院の必要もなく、病院の近くにマンションを借り通院した。
豪州滞在中の同8月22日には中継で日本テレビ「24時間テレビ」に出演した。スタジオから体調を問われると「元気ですよ」と笑顔。「私のガンが消えた画像をこの目で見たんです」と語り、回復を信じ切っていた。
さらに「(自分の治療経過を報告する)YouTubeでご覧いただきたいと思ってます。奇跡は起こります」と呼び掛けた。だが、最後の配信となった4回目の西郷さんは顔色が悪く、治療結果への戸惑いを隠さなかった。
2回目の治療の後、状況が暗転したのだ。西郷さんと親しい芸能関係者によると、前立腺癌腫瘍マーカー検査(PSA)の数値が急伸した。
このため、現地の医師は「3回目の治療をやめて日本に帰るという選択肢もある」と言ったが、西郷さんの希望で3回目の治療も行われた。
そして9月下旬に帰国。本来は8月下旬に戻ってこられるはずだったが、現地の病院の都合で伸びた。帰国後は体調不良が続いた。
「本人は『まだ、これから』と思っていたので、無念でしょう。歌もドラマも映画もやりたいと言っていましたから。だから海外に行ってまで治療を受けた」(前・民放OB)
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