なぜ「京都駅」の建築は賛否両論を巻き起こした? デザインの原点は世界各地の集落調査

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「京都駅」(京都府京都市)

 地元の人にとっては見慣れた存在。でも歴史を知ると、かなり立派な名建築であることがよくわかる「身近にある意外な名建築」をご紹介する本連載。最終回の今回は、これまでの中でも問題作といえるかもしれない。評価が真っ二つに分かれているのだ。街中に名建築があふれている土地に作られたゆえに抱える問題だろうか。「京都駅」について『日本の近代建築ベスト50』(小川 格・著)から引用してみよう。

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 京都駅ほど賛否がきっぱり分かれる建築は他に例がない。京都市民にしろ、観光客にしろ、賛否がまっ二つに分かれる。反対派の主な主張は京都の伝統が反映されていないということだ。

 100年ほど前にエッフェル塔ができたとき、パリ市民は伝統を無視した醜悪な建造物だと猛烈に反対した。しかしいまではパリ市民が自慢するパリの重要なシンボルで、パリ第一の観光名所だ。

 京都駅は1994年の平安建都1200年を記念して、JR西日本と京都市が計画した。後世に残る優れた建築を期待して国内外の建築家7名による国際指名コンペが行われた。

 要求された機能は、駅、ホテル、商業施設、文化施設、駐車場、そして市民広場など、膨大なものだったのである。

 指名された建築家は、安藤忠雄、P・ブスマン、原広司、池原義郎、黒川紀章、J・スターリング、B・チュミという世界的に著名な建築家7名であった。

 審査員も地元京都大学教授で建築家の川崎清をはじめ、磯崎新、内井昭蔵、H・ホラインなど内外の建築家のほか有識者10名があたった。

 提出された七つの案は、いずれも力作で甲乙つけがたく、審査は難航した。しかし、2日間にわたる慎重審議の末、選ばれたのは羅生門をイメージした単純明快な黒川案や安藤案ではなく、複雑な機能を表現した原広司案であった。

 原の案は、長さ470メートルの長大なコンコースを中心に据え、駅、ホテル、デパート、大階段を結びつけるダイナミックなものであった。コンコースの上部は巨大なガラス屋根をかけ、エスカレーターや空中歩廊により全体を一望できるように配慮されている。

 原はこれを「地理学的コンコース」と名付け、この建築の最も重要なコンセプトとしている。

 長大な建築を京都の街筋に従って3分割し、ホテル、駅、デパート、大階段と配置している。

 特に、大階段は普段は無用なデパートの非常階段を取り込んで巨大な野外劇場として有効活用する画期的な施設である。

 原広司(1936年~)は、東京大学で丹下健三に学び、建築家として注目されたのは「有孔体」理論とともに発表した小住宅。小さくとも、一つの空間としての存在を主張する強い思いを込めたものであった。

 原が次に注目されたのは、1970年代、大学院生や卒業生を連れたアフリカ、インド、中南米など5回に及ぶ世界の集落調査旅行であった。

 原は世界の多様な自然とそこに住み続ける原住民の多様な生き方、住居と集落の姿を目にした。

 この調査旅行は原の建築に大きな影響をもたらした。京都駅の巨大な建築を分割し、多彩な魅力的な細部を生み出し、全体を統合するデザイン手法は、集落調査で得た成果がよく生きている。

 こうして、交通機関の要であるとともに、出会いと別れのドラマの舞台となる空間が生まれた。

 京都を愛する京都市民は、やがて、金閣寺や清水寺とともに京都駅を世界に誇る建築として誇りに思う日が来るに違いない。

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小川 格(おがわいたる)
1940(昭和15)年東京生まれ。法政大学工学部建築学科卒。新建築社で「新建築」の編集を経て、設計事務所に勤務。相模書房で建築書の出版に携わった後、建築専門の編集事務所「南風舎」を神保町に設立、2010年まで代表を務めた。2022年1月現在は顧問。『日本の近代建築ベスト50』が初めての著書。

デイリー新潮編集部

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