一橋大学を卒業後、40年ほど「引きこもり」…当事者が激白 “毒母”が生み出す「高齢引きこもり問題」
医師を猟銃で撃ち殺した埼玉の立てこもり男に垣間見る母子の異様な密着。一方で、子どもの自立を阻み、ときに社会から隔絶した存在へと変えてしまうのは、他ならぬ母親自身の異常性であることも。わが子を責め苛む、忌むべき「毒母」の実像をレポートする。【黒川祥子/ノンフィクション・ライター】
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死んで丸1日経った母親の「蘇生」を医師に命じ、断られると猟銃を取り出して発砲した埼玉県ふじみ野市の立てこもり事件。そこに浮かび上がるのが、母と息子の関係性の異様さだ。母子の密着が、凶行の引き金になったのである。
社会から閉じた二人だけの“共依存的な”つながりには、私が取材を続けている「8050問題」との共通項を感じざるを得ない。
80代になって介助を要するようになった親と、親の年金や貯金で養ってもらわないと生きられない50代の子。互いに依存しあう親子関係の歪みは、昭和初期に生まれた80代を根強く呪縛する「恥の文化」により、社会の目からひきこもりの子どもをひた隠しにし、長期化した結果作られたものが多い。介護や医療が必要となった親が自分の都合で外部に助けを求め、初めて「発覚」するというわけだ。
しかし、原因をすべて親の「恥の意識」に求めるわけにはいかない。子に害をなす“毒母”ともいうべき母親により、ひきこもりを余儀なくされた例も少なくないからだ。
一橋大学に進学するも……
私はこれまで「ひ老会」という“高齢ひきこもりの当事者らが集まる会”に参加してきた。そこで語られる多くの痛切な叫びの元に「母親」がいたことに幾度も衝撃を受けた。
この「ひ老会」を主宰する「ぼそっと池井多」さんは1962年生まれ。白いものが交じるあご髭に重ねた年齢を思うが、髪をきちっと分け、清潔なシャツにジャケットという服装はいかにも誠実な印象を与える。
池井多さんは、名門中高一貫校から国立の一橋大学へ進学、卒業前に大手企業2社から内定を得たものの、うつ病を発症。身体が固まって動けなくなり、内定を辞退。そのままアパートにこもった。そして還暦を迎えた今もうつ病で生活保護を受け、一人暮らしをしながら、ひきこもりの当事者としての発信を続けている。
父は昭和8(1933)年生まれの中小企業の平社員で、母は昭和11(1936)年生まれの、女子大を出た塾経営者だった。父の3倍は稼ぐという母が絶対的権力を持つ家で、弟が生まれる8歳まで一人っ子として育った池井多さん。
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