顔面をボコボコ、オープン戦で大乱闘…日本球界を恐怖に陥れた「狂暴助っ人列伝」

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“名刺代わり”にパンチ2発

 オープン戦も間近となり、新外国人選手の動向も話題を集めている。近年は真面目で紳士的な助っ人が大半を占めるが、かつては、持ち前の気性の激しさから、暴れん坊として名を馳せた助っ人も多く存在した。【久保田龍雄/ライター】

 来日1年目にシーズン最多の退場3回(当時)を記録したのが、南海時代のトニー・バナザードである。まず“名刺代わり”となったのが、1988年5月13日のロッテ戦。5回、チームメイトのジョージ・ライトが荘勝雄から死球を受けたことにぶち切れたバナザードは、両軍ベンチ総出の大乱闘のなか、ロッテ・河原田明トレーナーの顔面にパンチを2発お見舞い。...

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