最も成功したのは明石家さんま オミクロンで続出!お笑い界「代役」たちの伝説

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さんま、山田邦子、今田耕司も「代役」で活躍

 代役から成り上がった最も有名な事例と言えば、高田純次と明石家さんまのケースである。80年代に一時代を築いた伝説のバラエティ番組「オレたちひょうきん族」で、ビートたけし扮する「タケちゃんマン」が主人公を務めるヒーロー物のコント企画があった。そのライバル役である「ブラックデビル」を最初に演じていたのは高田だった。

 ところが、高田がおたふく風邪で収録を休むことになり、代役としてさんまが急きょ抜擢された。さんまは「クワックワッ」という特徴的な笑い方を取り入れて、ブラックデビルというキャラクターをすっかり自分のものにしてしまった。その後、このコーナーに高田が復帰することはなくなり、ブラックデビルはさんまが演じるキャラクターとして後世に名を残すことになった。

 1986年にはビートたけしが講談社「フライデー」編集部襲撃事件を起こし、約8カ月にわたって謹慎することになった。彼のレギュラー番組の多くは高視聴率の人気番組だったため、ほとんどの番組は打ち切りになることはなく、代役を立てて継続されることになった。

 このとき、白羽の矢が立ったのが、当時たけしの所属事務所の後輩だった山田邦子である。気鋭の若手女性芸人として注目されていた山田は、たけしの代役として「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「スーパーJOCKEY」の司会を務めた。この経験を生かして、のちに彼女は多くの番組で司会を務めることになった。

 2011年には、暴力団関係者との交際疑惑を週刊誌に報じられた島田紳助が引退を発表した。このときにも、彼のレギュラー番組の多くは、事務所の後輩が代役を務める形で継続された。「開運!なんでも鑑定団」「オールスター感謝祭」は今田耕司が、「行列のできる法律相談所」は東野幸治と後藤輝基が交代で司会を務めることになった。

 このときすでに今田と東野は司会業を中心にしていたが、後藤はこの時期から飛躍的に司会者としての仕事を増やしていった。1人の芸人が抜ければ、同じ事務所の後輩芸人がすぐにその穴を埋めていく。それは活躍の機会をうかがう後輩にとってはこの上ないチャンスでもある。

 記憶に新しいところでは、2021年1月24日の「サンデージャポン」(TBS)で、脳梗塞で入院した爆笑問題の田中裕二の代役として、くりぃむしちゅーの上田晋也がサプライズ出演を果たしたこともあった。

 田中の相方である太田光は、上田と2人で「太田上田」という番組にも出演しており、昔から付き合いの深い盟友である。

 番組冒頭、太田が「日本一のMCが来てくれました」と上田を呼び込んだ。太田以外の出演者には、田中の代役として誰が出てくるのか知らされていなかったため、スタジオ中が騒然となっていた。

 上田は、初めて仕切る番組とは思えないほど、生き生きとした立ちふるまいを見せていた。ときには「例えツッコミ」を駆使して自分から笑いを取りに行くこともあるが、決してでしゃばりすぎない。生放送の司会を突然任された立場でありながら、水を得た魚のようにのびのびと仕事をこなしていた。

 コロナ感染で芸人がテレビに出られなくなることを前向きに考えるのは不謹慎かもしれないが、このような事態が起こることで、結果的に新しい才能が注目を浴びることはある。一視聴者としては、いつも見ている慣れ親しんだ番組を違った形で楽しめるチャンスだと捉えてもいいのではないか。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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