あさま山荘事件50年 テレビ中継は合計視聴率90%! 元日テレアナウンサーが振り返る“極寒の現場”

国内 社会

  • ブックマーク

報道担当のアナ

 各局とも現場にアナウンサーを派遣。彼らは警察が突入した28日も現場に立ち、警察官や信越放送のカメラマンが狙撃された瞬間も実況を続けた。

 その中の一人が、日本テレビのアナウンサーだった久能靖氏(86)だ。皇室ジャーナリストとしても知られるが、多くの人は「午後の『情報特急便』でニュースを紹介していたキャスター」としてご記憶なのではないか。

「情報特急便」は、みのもんた(77)がMCを務めた人気番組「午後は○○おもいッきりテレビ」(1987~2007)のニュースコーナーだった。

 久能氏は東大文学部を卒業し、1960年にアナウンサーとして日本テレビに入社。あさま山荘事件が発生すると、初日から現場で中継を行った。当時は36歳だったという。

「当時のテレビは、記者がカメラの前でリポートすることはありませんでした。必ずアナウンサーが行ったのです。そのため、報道専門のアナがいました。ただ、日本テレビはプロ野球の中継に力を入れていたので、スポーツ担当のアナが多かった。事件担当のアナは比較的少ない人員でした」

「昼には終わる」の説明

 事件発生の一報が日本テレビにもたらされた時、体が空いていたのは久能氏だけだったという。

「現場に急行し、朝と夕方のニュース番組で現地レポートを担当しました。夜になると、近くの宿泊施設が日テレの前線基地になっていたので、そこで僅かな仮眠を取りました。翌日になると早朝から現場に行って取材、レポートという繰り返しでした」

 犯人の5人は山荘の中でラジオを聞き、警察の動きなどを把握しようとしていた。そのため、警察は突入を決定すると、2月27日に新聞社やテレビ局、ラジオ局と報道協定を結んだ。

***

 マスコミは報道を一時的に中止する。その代わり警察は、普段より詳細な状況をマスコミに説明する。それが報道協定のルールだ。

「27日に会見が行われ、私も出席しました。警察は翌28日に突入すると説明しました。すると記者から、犯人逮捕までの見通しが問われたのです。警察側は『お昼ごろには終わるでしょう』と答えました。私は『そんなに早く終わるのか』と思い、防寒対策などを徹底せず、比較的軽装で中継を行うことになったのです」

次ページ:突入地点で実況中継

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。