始球式でまさかの死球負傷…オープン戦で起きたとんでもないアクシデント
飛び出た骨が見えるほどの重症
オープン戦最終戦で、シーズンの半分以上を棒に振る大けがに見舞われたのが、西武・辻発彦だ。87年3月31日の阪神戦、1点を追う7回無死満塁で打席に立った辻は、中田良弘の内角シュートを右手人差し指に受けた。指は「く」の字に曲がったまま。飛び出た骨が見えるほどの重症で、全治6週間。シーズン前半は絶望となった。
前年にプロ3年目で初めて全130試合出場をはたした辻は、2年連続日本一を狙うチームの内野のリーダーに指名されたばかり。「このまま野球ができなくなるんじゃないだろうか」という不安に駆られた。2週間にわたる入院中、夫人がいつもレバー料理を持って見舞いに来た。ビタミンDの豊富なレバーが骨折によく効くと聞いたからだ。
8月1日の日本ハム戦で4ヵ月遅れの“開幕戦”を迎え、見事タイムリー二塁打を放った辻は「オレ、つい最近まで、そのレバーの意味って、知らなかったんだ」と内助の功に感謝するばかりだった。
「悔しい思いをしながら外から野球を見ていた経験は、その後の野球に大いに役に立っている」(自著『プロ野球勝つための頭脳プレー』青春出版社)と振り返るように、同年の巨人との日本シリーズ第6戦では、中前安打で一塁から一気に生還する“伝説の激走”でチームのV2に貢献した。
ブチッという音とともに
オープン戦での負傷が、オフのトレード劇に発展したのが、ダイエー時代の小久保裕紀だ。2003年3月6日の西武戦、この日は主力の休養日に充てられていたが、今までになく順調な仕上がりを見せていた小久保は「同じパ・リーグの投手だし、打席に立ちたい」と自ら志願して出場した。
アクシデントが起きたのは、0対1で迎えた4回。エラーで出塁した小久保は、次打者・松中信彦の左翼フェンス直撃の二塁打で同点のホームを狙った。クロスプレーのタイミングながら、ブロックする捕手・椎木匠の足の間から本塁ベースが見えた。その間に右足を滑り込ませ、間一髪セーフになったが、直後、バランスを崩した椎木の全体重が小久保の右膝に乗りかかってきた。
ブチッという音とともに激痛に襲われた小久保は、起き上がることすらできず、担架で退場。右膝の前十字じん帯断裂、内側じん帯損傷など全治6ヵ月以上の重傷と判明した。
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