松鶴家千とせさん死去 「たけしは酒を飲んで収録に…」「渥美清にバカヤローと怒られ…」 語っていた浅草芸人伝説

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「千とせ、バカヤロー」

 ようやく夕焼け漫談で頂点を極めた千とせだったが、売れたことで、思わぬ誤算もあった。

「渥美清さんとは不思議なご縁で、渥美さんの弟子だった男が漫談を勉強したいというんで、僕のところへ弟子入りしてきたんです。きっと、それを恩義に感じてくれていたんだろうね。

 あるとき、渥美さんがやってきて言うんです。

『千とせ。なにやってるんだよ、バカヤロー』

 どうも、浅草の後輩で、夕焼けネタで話題だった僕を、松竹の映画『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』にキャスティングできないかと考えていてくれたみたい。なのに僕は、先にライバル東映のトラック野郎に出ていた。この二つの映画は、公開年も同じ76年なんです。

 いろいろ想像しましたよ。親分格の渥美さんが夕焼けで、子分の僕が小焼けで、あの寅さん映画で“夕焼け小焼けコンビ”を演じていたら、とかね。

 もちろんトラック野郎もうれしかったんですが、渥美さんとは同じ浅草育ちですから、ぜひ共演したかった。まあ、つくづく逃した魚は大きい」

 今でも口惜しそうだ。

「結局、渥美さんとは、その弟子の結婚式で同席したりしましたが、その後、あちらは着実に映画俳優としての地位を築いていって、接点はなくなりました。

 たぶん僕だけでなく、誰も渥美さんと個人的なお付き合いはなかったのでは。仕事の現場にいたはずが、飲み会などになると、フッと消えているんです。

 芸人同士の交流はあまり好まない様子で、渥美さんやフランキー堺さんは、いわゆる“ドロン”の天才と言われてましたね」

 ブレイクからまもなくして、千とせはアメリカ進出をはかる。現在、吉本興業所属の女性タレントである渡辺直美の渡米プランが話題だが、その意味では、元祖渡米芸人ともいえそうだ。

「渡辺さんは、チャレンジでしょう。だが、僕の場合は、急に売れて、このままハードスケジュールをこなしていたら命を取られると思っての逃亡でした。

 3年も海外を行き来して日本のテレビに出ないでいたら、いつのまにか『元祖一発屋』なんてことになって、もうお呼びじゃないとわかるんです。僕らは、テレビの使い捨て世代の第一号なんです」

 皮肉にも、この80年代初めから漫才ブームが巻き起こり、ツービートやB&Bが爆発的人気を博し、テレビでも「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」が始まる。

「帰国して舞台に上がると、お客さんが僕の悪口を言っていると感じるようになっていた。対人恐怖症の診断でした。

 仕事も激減したとき、たけしが自分がメインの『元気が出るテレビ!!』に呼んでくれたり、きよしも地方のCM出演に誘ってくれたんです。立場が逆転したようでしたが、素直にありがたかった。

 僕が貧乏してると思ったのか、たけしが、女房宛てに立派なカニを送ってくれたこともありました。カニは僕の好物というのを、知ってたんじゃないかなぁ。アイツらしいです。

 あの頃からですね、浅草が途端に元気をなくしていったのは」

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