松鶴家千とせさん死去 「たけしは酒を飲んで収録に…」「渥美清にバカヤローと怒られ…」 語っていた浅草芸人伝説

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「酒飲んでました」

 そんな修業の期間を経て、実力コンビ“千とせ・羊かん”として、NHK漫才コンクールでは本選の常連になっていた千とせだったが、相方とケンカ別れで、3年でコンビ解消。

 33歳にして漫談に転身した3年後、前述の「わかんねェだろうナ」のギャグで、大ブレイクを果たす。

「レコードに映画にCMも20社以上で、人生が一変しました。電話はボンボンかかってくるし、いわゆるダブルブッキングしちゃって、天下のNHKさんから、『こっちは1週間の出演を保証するんだ。向こうを断ってくれ』なんて無茶言われて、困ったもんです」

 1日にテレビ番組5本を掛け持ちし、ギャラは15分の出演で100万円にも跳ね上がり、やがて自身の個人事務所を設立。

 ジャズのノリを取り入れた斬新な漫談で第一線に躍り出たわけだが、これを最初に認めてくれたのは、意外にも落語界の大物だった。

「立川談志さんが、『あいつのネタは、全部自分で考えてる。頭の中を割って見てみたい』なんて言ってくれた。あの人らしく、オリジナル性を高く評価してくれたんです。そういえば、談志さんも東京は小石川の出身ですよね」

 千とせが売れ始めた頃、足並み揃えてではないが、出会って以来、何かと面倒を見てきたツービートも世に出ていく。

 今でも鮮明に記憶しているという“騒動”が起きたのは、テレビで初共演したときのこと。

 千とせのはからいで、山城新伍の「独占!男の時間」に出ることになったツービートだったが、本番当日、2時間も遅刻してきたかと思えば、赤い顔して神妙な面持ちで座っている。

「お前ら、何してたんだ」

 尋ねる千とせに、たけし、

「初めてテレビに出るから、おっかなくて、酒飲んでました」

 スタジオ中が酒臭くなるほどだったというが、千とせは怒鳴りはしなかった。

「いやいや、なんだか、かわいいな、と思ったんですよ。それくらいウブなほうが、これから素直に伸びていくんじゃないかって」

 実際、コンビ躍進のカギを握るボケとツッコミの役割について、千とせが助言したときにも、

「ツービートは、当初、リズム感が悪かった。というのは、山形出身のきよしが中心に喋っていたから、訛りで漫才のテンポが止まっていたんですよ。

 二人の役割を逆にするように言ったら、足立区生まれのたけしのスピード感ある喋りに、きよしが『よしなさい』でツッコミを入れるスタイルがハマった。

 そのうち、テレビでの見せ方もわかってくる。3分間での勝負なんだから、もうボケもツッコミもない、ときには入れ代わったり、両方やれというふうに変わっていって、それをあいつらも見事にこなしながら自分たちの芸風にしていった。生まれ変わったようだった」

 舞台での度胸は、最初から据わっていたという。

「それは、たけしも、フランス座の裸と裸の間で鍛えられてたから。だから僕も、すぐにもテレビに出してやろうと思っていたら、あの酔っぱらい騒動だった。

 あの頃、僕の追っかけみたいな風来坊も浅草にいて、こっちが小遣いまであげるようになっていたんです。あるとき、そいつが泣きながら楽屋まで来て言うんだ。『たけしに千円取られた』って。

 あとで聞いたら、たけしの野郎、『どうせ、千とせ師匠から貰った金だろ』って、そいつから千円巻き上げて飲みに行ったっていうんだ。でも、やっぱりどこか憎めないキャラクターでしたね」

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