阪神バースは「乗り遅れバス」と陰口…当初は低評価でもシーズンで大活躍した“助っ人列伝”

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「プロレスラーに転向したほうがいい」

 一方、シーズンが開幕しても打てなかったのに、辛抱強く起用しつづけた結果、主砲として覚醒したのが、83年に阪神入りしたランディ・バースだ。

 三拍子揃った外野手、スティーブ・ストローターとともにマウイキャンプでチームに合流したバースは、「30本塁打は期待できる」の前評判ながら、シート打撃で場外弾を飛ばすストローターにお株を奪われ、“乗り遅れバス”と陰口を叩かれた。

 来日後、3月6日のオープン戦、大洋戦で2発を含む5打数4安打と大当たりしたのも、つかの間、左足腓骨の剥離骨折に続いて、同18日のロッテ戦で死球を受け、左尺骨茎状突起亀裂骨折の重傷。無念の開幕2軍スタートとなった。

 4月16日の巨人戦でようやく1軍デビューをはたすも、代打起用中心ながら、当時球団ワースト記録の開幕から15打席連続無安打とさっぱり快音が聞かれない。

 スタメン出場した4月24日の中日戦、5月3日の巨人戦ではいずれも4タコに終わり、チームも大敗。トラ番記者から「バースをスタメンで使うと、ろくな試合にならない」「プロレスラーに転向したほうがいい」の声も上がった。だが、安藤統夫監督は「どうして5試合や6試合でダメと決めつけるの。結論を急がせないでよ」と擁護し、その後も使いつづけた。

 そんな矢先、投手のリチャード・オルセンを緊急補強し、登録枠の3人を超えたため、外野手のキム・アレンを含む3人のうち1人を解雇することになった。結果的にストローターがクビになり、間一髪で退団の危機を免れたバースは、ここから調子を上げ、打率.288、35本塁打と結果を出した。そして、85年には打率.350、54本塁打で、阪神の日本一に貢献したのは、ご存じのとおりだ。

 もし、あのとき解雇されたのがストローターではなくバースだったら……。日本で成功するには、運を味方につけることも不可欠なようだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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