阪神バースは「乗り遅れバス」と陰口…当初は低評価でもシーズンで大活躍した“助っ人列伝”
“安全パイ”と侮られたが
オープン戦で結果を出せず、期待外れと思いきや、いざシーズンが始まると、一転して“安打製造機”の本領を発揮したのが、88年に大洋入りしたジム・パチョレックだ。
「(カルロス)ポンセのあとの5番を打ち、右打ちもできる巧打者」という古葉竹識監督のリクエストを受け、牛込惟浩渉外担当が「ミートが巧く、性格も真面目」と推薦してきたのが、マイナー時代から広角打法を披露していたブルワーズのパチョレックだった。
だが、オープン戦は14試合で打率.231、3本塁打とイマイチ。5三振、6併殺打と肝心なときに打てず、相手チームから“安全パイ”と侮られた。ところが、シーズン開幕戦から4試合連続マルチ安打と確変し、“曲者”で知られる広島の捕手・達川光男をも「穴もなくなっているし、マークせんといかん」と慌てさせた。
パチョレック自身は「オープン戦は日本の投手に慣れることで、数字を残す期間ではない。公式戦になって、気持ちの違いがヒットにつながっているのかもしれない」とクールに分析していたが、シーズンを通して好調を維持し、終わってみればリーグ最多の165安打を記録。打率も首位打者・正田耕三(広島)にわずか8厘差の.332と期待以上の成績を残した。
その後も翌年に首位打者を獲得するなど、阪神移籍後も含めて5年連続3割以上をマークした。オープン戦で打てないからと言って、「ダメ」の烙印を押すのは、まだ早いことがわかる。
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