「タクソノミー」が炙り出した仏・東欧とドイツの溝

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 今年2月2日にEUが公表した文書が、欧州を分断している。EUはこの文書の中で、原子力発電所と天然ガス火力発電所が一定の条件を満たせば、「地球温暖化・気候変動の抑制に貢献する、過渡的なエネルギー」として、いわゆるグリーン事業の分類表「タクソノミー」に記載することを正式に提案した。

 今日の企業にとって、携わっている事業がグリーン認定されてタクソノミーに載せられることの利益は大きい。多くの機関投資家たちは、ESG(環境・社会・ガバナンス)の原則に基づいて、グリーンな事業への投資を増やすことを目指している。しかしこれまで、グリーン事業の定義がまちまちだった。

 EUタクソノミーは投資家のための指針であり、強制力はない。しかし少なくともEUから「グリーン」というお墨付きを得られることで、リストに載せられた事業には将来投資が集まりやすくなる。

 一方EUは、タクソノミーの公表によって、民間投資の流れを、二酸化炭素(CO2)の削減や気候変動による悪影響の緩和に寄与する事業に向けることを狙っている。つまりこのリストは、金融サービス事業の持続可能性を高める上で、重要な役割を果たす。

 EUは、原子力発電所と天然ガス火力発電所をタクソノミーに記載する条件として、2050年までに原子炉からの高レベル放射性廃棄物の処理計画を作成し終えることや、天然ガス火力発電所が排出するCO2を一定の水準以下に抑えること、将来燃料を天然ガスからグリーン水素(再生可能エネルギーによる電力で水を電気分解して作られた水素)に切り替えることなどを挙げている。

フランスや東欧諸国の圧力が背景

 EUが原子力をタクソノミーに記載する方針を打ち出した理由の一つは、フランスや東欧諸国の圧力だ。彼らは、「2050年までにカーボンニュートラルを達成するには、原子力の拡大が不可欠だ」として、EUに対してグリーン認定を強く要請した。電力の約70%を原子力に依存するフランスなど10カ国の政府は去年10月、EUに公開書簡を送っている。これらの国々は、書簡の中で「原子力はすでに多くのEU加盟国で使われている。原子力を使えば、割安の値段で電力を国民に供給できる。エネルギー価格が高騰する中、外国からの化石燃料への依存度を減らすためにも、原子力のタクソノミーへの記載は重要だ」と主張していた。

 また同年10月には、EUのウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長も「2050年までにカーボンニュートラルを達成するには、原子力と天然ガスを過渡期のエネルギーとして使うことは避けられない」と発言していた。EU上層部が、気候変動の脅威を、原子力のリスクよりも重大視していることの表れだ。

 もう一つの背景は、欧州諸国を悩ませているエネルギー価格の高騰だ。たとえば欧州の天然ガスの先物取引で重要な役割を果たしているプラットフォーム「ダッチTTF」では、2021年1月4日のガス価格は1メガワット時(MWh)あたり約17.9ユーロだったが、同年10月4日には440%増えて約96.7ユーロになった。また欧州に輸入される石炭の1トンあたりの価格も、2020年9月2日の約43.5ユーロから、2021年9月30日には約186.0ユーロに上昇した。天然ガスや石炭だけではなく、電力、ガソリン、ディーゼル用の軽油なども大幅に値上がりした。

フランス政府は、同年10月に冬季のガス料金の値上げを禁じた他、電力料金の引き上げ幅にも上限を設定した。

 エマニュエル・マクロン大統領は、去年11月のテレビ演説の中で「他国のエネルギーに依存せず、電力の安定供給を確保しながら2050年までにカーボンニュートラルを達成するために、再生可能エネルギーを拡大しながら、原子炉の新設を再開する」と発表した。

 マクロン大統領は2月10日に、この計画の詳細を公表し、2050年までに最高14基の原子炉を新設する方針を明らかにした。さらに既存の56基の原子炉についても、安全上の問題がない限り稼働年数を延長し、50年を超えて運転することが可能かどうか検討する。同氏によると、フランスが原子炉の新設計画を発表するのは数十年ぶりのことだ。

 マクロン大統領は今年4月に大統領選挙を控えている。このため、国民に対しエネルギー価格の抑制のための努力を示す必要がある。同氏にとって、エネルギー価格高騰はデリケートなテーマだ。同国政府が2018年に自動車燃料に炭素税を導入する方針を発表したところ、翌年にかけて市民の抗議デモが全国に広がり、参加者の一部は暴徒化してパリの文化財などを損壊した。この「黄色いベストの乱」の記憶は、フランスの政治家たちの骨身に沁みている。このためマクロン大統領は、テレビ演説の中で「原子炉の新設は電力価格の高騰を防ぐために必要だ」と強調した。

 つまり原子力ルネサンスは、再選を目指すマクロン大統領にとって、エネルギー価格高騰に対する市民の不満を和らげ、支持率を高める上で重要な切り札である。

 原子力拡大を進めている国は、フランスだけではない。英国ではフランスの国営電力EDFなどが、原子炉ヒンクリー・ポイントC号機を2026年に運開させるほか、サイズウェルC号機の建設許可申請を監督官庁に提出した。またジョンソン政権は去年11月、小型原子炉SMRの開発のために2億1000万ポンド(321億円/1ポンド=153円)を投じると発表している。

 ポーランドでは、現在発電量に石炭が占める比率が約73%だが、同国は2049年までに石炭火力発電所を廃止するという目標を打ち立てた。このため2033年までに最初の原子力発電所を稼働させるべく、準備を進めている。同国にとって原子力は、ロシアからのエネルギーへの依存度を減らす上でも重要だ。

 チェコは、現在電力の約45%を石炭火力発電所から得ているが、2033年の脱石炭を目指している。このため、発電量に原子力が占める比率を現在の35%から、2040年までに40%に引き上げる方針だ。国営電力CEZは、2036年までに、南部のドゥコバニ原子力発電所に5基目の原子炉を追加する予定。さらにテメリン原子力発電所でも、2040年までに3号機と4号機を新設する計画が進んでいる。

 スカンジナビア諸国も、原子力と再生可能エネルギーをCO2削減のための両輪と見ている。スウェーデンでは1980年に議会が原子力発電所を新設しないことを決議し、2010年までに脱原子力に踏み切ることを決めた。だが政府は2010年にこの決定を覆し、現在では発電量の42%を原子力に頼っている。同国は1960~70年代に運開した原子炉7基を廃止したが、6基の原子炉が運転中。2030年までにSMRの実証炉を建設するための準備が進んでいる。同国は2020年4月に、最後の石炭火力発電所を廃止した。

 フィンランドも4基の原子炉から電力の35%を調達している。同国は2029年までに脱石炭を目指している。現在電力の12%をカバーする石炭火力発電所を代替するために、今年6月にオルキルオト3号機の運開を計画している他、2029年までにハンヒキヴィ1号機の運開を目指している。同国は、2020年代末までに世界で初めて高レベル放射性廃棄物の地下貯蔵処分場への搬入を開始する予定。

 つまり欧州では、カーボンニュートラル達成を最優先とするEUの政策が、「原子力ルネサンス」にとって追い風となっている。電力業界は、原子力がタクソノミーに記載されれば、将来潤沢な資金が原子炉の新設プロジェクトに流れることを期待できる。その意味でEUの提案は、マクロン大統領や中東欧諸国の指導者たちにとって、朗報だった。

ドイツ政府は原子力のタクソノミー記載に反対

 これに対し、ドイツ連邦経済気候保護省と連邦環境消費者保護省は2月2日、「原子力のタクソノミー記載は誤りだ」とする声明を発表した。同国は「福島とチェルノブイリでの出来事は、原子炉事故の可能性がゼロではないことを示した。原子力は危険で多額のコストがかかる技術であり、高レベル放射性廃棄物の処理についても、まだ最終的な解決策が得られていない。原子力への投資をグリーン投資と認定することは、タクソノミーの目的を歪めることになる」として、EU提案に反対した。

 ロベルト・ハーベック経済気候保護大臣(緑の党)は、「原子力をタクソノミーに記載することは、環境に悪影響を与えるものを、あたかも環境保護に寄与するかのように見せかけるグリーン・ウォッシングだ」と強い言葉で批判した。

 ドイツ政府は2011年の福島第一原発事故をきっかけに、猛スピードで原子力法を改正し、2022年末までに全ての原子炉を廃止することを決めた。当時使われていた17基の原子炉の内、14基がすでに廃止されており、今年12月31日には残りの3基のスイッチも切られる予定だ。

 すでに脱原子力を達成しているオーストリア政府も、「原子力エネルギーを、地球温暖化対策に使うことは許しがたい。もしもEUが実際に原子力をタクソノミーに記載した場合、欧州司法裁判所に提訴する」という声明を発表している。

 ただし、ドイツやオーストリアは、原子力推進派に押し切られる可能性が高い。EUの規則によると、欧州委員会の提案をブロックするには、EUの人口の少なくとも65%が住んでいる20カ国の反対票を集めなくてはならない。現在のところ少なくとも10カ国が原子力のタクソノミー記載に賛成しているのに対し、反対しているのは5カ国にすぎない。

ドイツが天然ガスのタクソノミー記載に前向きな理由

 ちなみにEUは原子力だけではなく、天然ガス火力発電所もタクソノミーに記載することを提案している。ドイツ政府はこの点については、反対していない。経済気候保護省はEUに対する回答文書の中で、「天然ガス火力発電所はCO2を排出するので、長期的に見れば持続可能性が高いとは言えない。しかし再生可能エネルギーが普及するまでの過渡期のエネルギーとしての役割を果たすことは可能だ。早期に脱石炭を実現するためにも、天然ガス火力発電所は役立つ。ただし、将来は燃料を天然ガスからグリーン水素に切り替えることが条件だ」という立場を取っている。原子力に対する激しい反対姿勢とは対照的だ。

 その理由は、ドイツも天然ガスの過渡的な使用は避けられないと考えているからだ。ショルツ政権は去年公表した連立契約書の中で、「再生可能エネルギー拡大とともに、電力供給の安定を維持し価格高騰を防ぐために、天然ガス火力発電所を新設する」と明記していた。最新式の天然ガス火力発電所が排出するCO2の量は、老朽化した褐炭・石炭火力発電所に比べると少ない。新政権が天然ガス火力発電所の新設を打ち出した背景には、ドイツの製造業界が「再生可能エネルギーの比率が高まると、風や太陽光が十分でない時に、電力の需給が逼迫して送電網が不安定になり、大規模停電や瞬間停電の危険が高まる」という懸念を表明していたという事実がある。

 ドイツの電力消費量に再生可能エネルギーが占める比率は、去年末の時点で約41.9%だが、ショルツ政権はこの比率を2030年までに80%に引き上げることを目指している。残りの20%は、天然ガスでまかなう可能性が強い。

 欧州議会の環境委員会のパスカル・カンファン委員長(所属政党=共和国前進)は、マクロン大統領の環境・エネルギー問題に関する右腕。彼は「EU提案は、天然ガスのタクソノミー記載を希望していたドイツと、原子力を希望していたフランスの両国に配慮した物だ。EUは原子力を過渡期のエネルギーとしか見ていない。したがって、私にはドイツ側が憤慨しているのが理解できない」と述べている。彼の言葉は、EUが、ドイツ政府にとって受け入れがたい原子力をタクソノミーに記載する「代償」として、ドイツが求めていた天然ガスをタクソノミーに記載するという、政治的な「ディール」があった可能性を示唆している。

熊谷徹
1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。

Foresight 2022年2月16日掲載

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