単身赴任の妻が誕生日に若い男と浮気… 「47歳」夫はなぜ“彼女の釈明”に怒りが沸かなかったのか

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 既婚女性が単身赴任したという話はまだ少ないが、男女が同じように仕事をする社会なら、今後は増えていく可能性がある。実際、妻が単身赴任をしていた男性から、妻の不倫とその後の夫婦関係を聞くことができた。【亀山早苗/フリーライター】

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 桜井光憲さん(47歳・仮名=以下同)が、1つ年下の佳緖(かお)さんと結婚したのは28歳のとき。瓢箪から駒のような出会いと結婚だった。

「恥ずかしいんですが、友だちとの飲み会でやってきた彼女に一目惚れしたんです。そのままもう一軒、ふたりで飲みに行って気づいたら彼女が僕の部屋にいたというなりゆきで……。でもそのときは男女の関係はなかったんです。『スタートからやり直しましょう。きちんとデートしてください』と僕が言ったら、彼女、ケラケラと笑って。『わかった、そうしましょ』と。1ヶ月後には同棲し、そのさらに1ヶ月後には婚姻届を出していました」

 彼女と一緒にいると楽しかった。光憲さんがどうしても彼女と一緒にいたかった唯一無二の理由だという。

「彼女には何でも話したくなる。自分がこれほど開放的になったことはないくらい。それを彼女は自分の意見をはさまずに聞いてくれる。でも彼女のほうも同じことを言っていたんです。ふたりともそう思えたら最高にハッピーでしょ」

 結婚してから、ふたりはゆっくりとお互いを知り合っていった。ふたりとも両親が揃った“普通の”家庭で育ったわけではないともわかった。光憲さんは幼いころに母を亡くし、男手ひとつで育てられた。20歳のとき父親が再婚したが、その人とは相性が合わず、ほとんど実家には帰っていない。

 一方の佳緖さんはもっと複雑な育ち方だった。彼女の母親が既婚男性と恋愛し、5歳年上の兄と佳緖さんが産まれた。その後、相手が離婚して母と再婚したものの、結婚してみたら関係がうまくいかず離婚。ところが離婚に際して、母は佳緖さんを夫に預けた。佳緖さんが15歳のときだった。

「佳緖の母親はそのときすでにがんに冒されていたそうです。自分の余命を知っていたからこそ、離婚した夫に親権も監護権も与えた。その夫もそれがわかっていて引き受けた。お兄さんはすでに20歳になっていましたからね。佳緖はその後、父と母の間を行ったり来たりしながら過ごしたそうですが、1年後に母は亡くなった。高校時代は父親と、彼が前の結婚生活でもうけた同年代の子、つまり異母姉と3人で暮らしていたそうです。父親はいい人だったようですね。佳緖は母親の生き方を肯定はしていないけど、恨んでもいない。父親に対しても同じだと言っていました。まあ、その父親も佳緖が大学を卒業してすぐ亡くなったそうです。初めての給料でネクタイを買ってあげることができたから、それだけはよかったと泣き笑いしていました」

 それぞれに寂しくて孤独な時代があったからこそ、ふたりはお互いの気持ちが手に取るようにわかった。

「僕たちが結びつくのはごく自然のことだったのかもしれない」

“家族”ではなく対等な“チーム”

 当時、ふたりとも会社員。光憲さんの会社の借り上げマンションに住んでいた。佳緖さんは仕事が好きだし、「子どもはいてもいなくてもいい」と考えていた。その気持ちが光憲さんには理解できた。

「まあ、子どもは成り行きに任せようと言っていたのですが、結婚して1年でできました。

 佳緖はうれしそうでした。自分がどこまでいい母親になれるかはわからないけど、チームとして3人で生きていこうと言ったんです。“家族”という言葉は使いたくなかったんでしょうね。それも僕にはよくわかった。だからチームとして、それぞれのメンバーは対等であろうと思いました」

 光憲さんが30歳になる直前、娘の麻衣さんが産まれた。佳緖さんは育休を半分残して仕事に復帰。光憲さんも会社に事情を話してできる限りのことをした。

「僕も佳緖も、掃除なんて1週間に1度、まとめてやればいいよねというタイプ。子どもが元気なら、あとのことは適当でいい、と。そのあたりの価値観が合っていたので、特に諍いもなく家庭は平穏で楽しかった」

 暗黙の了解で子どもはひとりでいいと思っていたふたりだが、なんと年子で男の子が誕生。さすがの佳緖さんも「しばらく会社を休むか辞めるか」と悩んだこともあった。だが、辞めたくないならがんばろうと励ましたのは光憲さんだ。

「佳緖は仕事をしていると生き生きするんですよ。夏休みをとって旅行なんかすると、楽しそうだけど、どこか精彩がないというか(笑)。この人は家にいたらダメになっちゃうと思ったので、『制限なく仕事をしなよ、オレがなんとかするから』と言ったらうれしそうに抱きついてきました」

 以来、光憲さんが主に家事を担ってきた。ひとり暮らしが長かったので家事も苦にはならなかった。妻が保育園に子どもを連れていき、職住が近い光憲さんが夕方、子どもたちをピックアップ。家に戻って夕飯を食べさせていると妻が帰宅する。光憲さんは会社に戻ることもあったし、家で仕事の続きをすることもあった。

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