“恋愛しない人”が差別される世の中への問題提起 「恋せぬふたり」が開拓した「非恋愛モノ」
日本のドラマはビールを見倣うべきだと思う。瓶から缶へ、生にクラフトに地ビール、発泡酒に第三のビール、糖質オフにプリン体ゼロにノンアルコールなど、次々と新ジャンルを打ち出している。もはやビールではないモノまでビールと言い張り、節操なく展開。ドラマもぜひ新ジャンルを開拓してほしい。その幕開けと呼べるのが、非恋愛モノの「恋せぬふたり」だ。
古来、すべての人は対象が誰であれ恋愛をするのが当然とされているが、そこに違和感を覚える人がいる。他者に恋愛感情をもたないのがアロマンティック、他者に性的に惹かれないのがアセクシュアルだ。
主人公・咲子を演じるのは岸井ゆきの。付き合った人はいるが、恋する気持ちを実感できず、常に違和感や居心地の悪さを覚えてきた。咲子はスーパーの本社で営業担当だが、商品の販促では「恋する肉じゃが」など恋愛を謳うものも多い。実はその感覚がわからずに、ひとり苦悩していたのだ。
ある日、目にとまったブログを読んで衝撃を受ける。そこで自分がアロマ・アセクと初めて知る。今までの違和感や居心地の悪さの正体がわかり、そのブログの筆者に傾倒し始める。それが、高橋一生演じる高橋だ。
偶然にも彼は、咲子が勤めるスーパーの支店に店員として勤務。他者との接触も拒む筋金入りのアロマ・アセク。恋愛感情も性欲もないが、ひとりは寂しい。共通見解をもつふたりが同居して、新しい関係を構築する物語。
嗚呼、やっぱりストイックで厭世的な人物を演じる一生はいいな。この役、実にしっくり。恋愛・結婚・家族という価値観の押し付けを唾棄する姿、最高。ゆきのも、アロマ・アセクと自認して、モヤが晴れた様子を無垢に表現。新たに生まれたジレンマに戸惑う姿もぴったりハマっている。
ふたりの周辺の人々、つまりは多数派の恋愛至上主義者が、劇中ではかなり無神経に描かれている。咲子の家族、職場の上司や同僚で元彼、親友までもが「いや、そこまでひどい? そこまで理解されない?」と驚くような暴言を吐く場面が多い。アロマ・アセクの積年の恨みが若干強めだ。
でも、恋愛がデフォルトの世の中では、アロマ・アセクの人は常に疎外される孤独を抱えているとわかる。カミングアウトして、快・不快の境界線を明確にできればよいが、恋愛至上主義者の世界では到底理解されにくく、説明しても徒労に終わる。腫れもの扱いされたり、差別される懸念もある。想像以上の孤独だ。咲子の元彼(濱正悟)の明るくて無意識な無神経は、ある意味で社会そのものなのだ。
恋愛感情がないだけ、人が嫌いなわけではない。そういう人もいるということを知らしめる作品。実は昨年の名作「大豆田とわ子と三人の元夫」(フジ)で市川実日子が演じた綿来かごめが、アロマ・アセクだった。無粋な説明はせずに、ラブコメの中に存在する意義は大きかったと改めて思う。
本作はNHKで、やや啓発臭も強いが、新ジャンル「非恋愛」の提案は新しい。枠をどんどん超えてほしい。