元公安警察官は見た 検挙はたった6件…見えにくい中国スパイ活動のトンデモない実態
日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、検挙しにくい中国の諜報活動の実態について聞いた。
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FBIの元主任分析官のポール・ムーア氏は、2001年8月24日付「ワシントンポスト紙」にこう語っている。
《中国の諜報活動はスパイのように見えず、スパイのように行動もせず、秘密情報を大量に盗みもしない。》
「中国のスパイの摘発数は非常に少なく、手口は巧妙と言われています」
と解説するのは、勝丸氏。
実際、警察当局が戦後に摘発した中国のスパイ事件はわずか6件しかない。北朝鮮の約50件、ロシアの約20件と比べるとはるかに少ない。
人海戦術で情報収集
「ロシアや北朝鮮のスパイは、自ら諜報活動を行います。一方、中国のスパイは、自分で動くことはまずありません。日本にいる中国人留学生や在日二世、三世を使って情報収集を行うのです。在日二世、三世は完璧な日本語を話すので、日本人と区別がつきません。また、スパイも自ら情報収集活動しないので、なかなか足跡をつかむことは難しいんです」
日本には、中国のスパイが数十名いるとされるが、留学生など協力者を含めれば1000人を超えるといわれる。つまり人海戦術を使って情報収集を行っているわけで、検挙するのも極めて困難なのだ。
「彼らはピンポイントで情報を狙ってくるのではなく、公のものも含めあらゆる情報をごっそり持ち出します。そして、集めた情報の中から重要情報を見つけ出すのです」
例えば、中国人留学生を動員し、ある大学の右翼系学生団体の活動情報を大量に入手させる。次にそれを分析して学生団体の背後にいる右翼団体の動向を把握するという。
あらゆる情報を強力に吸い上げる手法は、関係者の間で「真空掃除機」と呼ばれている。
「中国のスパイが国内で摘発されたのは、1976年1月に発覚した『汪養然事件』が最初です。汪は香港在住の中国人で、貿易会社を3社経営し、手広く中国と貿易を行っていました。1971年頃、中国の情報機関関係者から香港で中国と取引する中国人業者は祖国の建設と祖国防衛に協力する義務があると言われ、中国との貿易を継続する見返りに、日本の軍事技術、産業技術の情報収集を行うよう指示されました」
汪は、それから頻繁に来日するようになった。
「彼は、中国との貿易でかなり儲けていたようで、潤沢な資金を使い数名の日本人協力者を得て、情報収集を行っていました。外国の航空機エンジンなどの軍事情報、日本の政治、経済、産業技術に関する情報、中ソ国境地図などのソ連関係情報という具合に幅広く情報を集めていたようですが、結局、諜報活動の全容はつかめませんでした」
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