元メジャーリーガーが「浪人の道」へ…NPBからのオファーを待ちつづけた男たち

スポーツ 野球

  • ブックマーク

「厳しい話になる」と覚悟

「青天の霹靂」とも言うべき戦力外通告を受けたあと、独立リーグに所属しながらNPBからのオファーを待ちつづけたのが、15年間で通算1865安打、360本塁打を記録した村田修一だ。

 巨人移籍6年目の17年、37歳の村田は、新加入のケーシー・マギーに出番を奪われ、開幕から代打中心の起用が続く。だが、6月以降3試合連続本塁打を放つなど調子を上げて、最終的に打率.262、14本塁打、58打点を記録した。自著「あきらめない。」(KADOKAWA)によれば、規定打席に到達できず、チームも4位に終わったことから、契約更改では、40パーセント以上の減額も含めた「厳しい話になる」と覚悟していたという。

 ところが、球団側の回答は、想定を遥かに超えるものだった。若手育成を理由に自由契約を通告されたのだ。思いもよらぬ“就活”で奔走することになった村田は、古巣・DeNAも含めた各球団関係者に「チャンスを与えてください」と頭を下げ、伝手のある知人にも斡旋をお願いしたが、年が明けても移籍先は決まらなかった。

「一歩前に進もう」

「ただ待つのではなく、一歩前に進もう」と考えた村田は18年3月5日、ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスに入団。プレーしながらNPB復帰を目指す道を選ぶ。5月11日からの古巣・巨人3軍との3連戦「男・村田祭り」では、3日間で約7000人の動員を記録したものの、最終期限の7月31日まで名乗りを挙げるNPB球団はついになかった。

 8月1日、「引退」の2文字を口にせず、同年いっぱい栃木でプレーすることを表明した村田は、9月9日のシーズン最終戦終了後のセレモニーで正式に引退を発表した。同28日には、東京ドームの巨人vsDeNAの試合前にも引退セレモニーが行われ、「未練がないと言えば嘘になるかもしれませんが、自分が選択して歩んできた道に悔いはありません」と挨拶した。村田ほどの実績があり、年齢的にまだ十分やれる選手でも、オファーがないという現実に、納得できないファンも多かったことだろう。

次ページ:運の占める要素も

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。