元メジャーリーガーが「浪人の道」へ…NPBからのオファーを待ちつづけた男たち

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 昨オフ、西川遥輝(現・楽天)、大田泰示(現・DeNA)とともに日本ハムからノンテンダー通告(今季の契約を提示しない通告)を受けた秋吉亮が、日本ハムとの再契約も含めて移籍先が決まらなかったため、日本海オセアンリーグ・福井ネクサスエレファンツでプレーしながら、NPB復帰を目指すことになった。過去にも浪人、あるいは今回の秋吉同様、独立リーグに所属しながら、NPBからのオファーを待ちつづけた選手が何人かいる。【久保田龍雄/ライター】

「肩さえ治れば、まだやれる」

 カージナルス時代にワールドチャンピオンの一員となりながらも、日本球界復帰後、あえて浪人の道を選んだのが、田口壮である。カブス退団後の2010年にオリックスに復帰した田口は、翌11年の春季キャンプで右肩を痛めた影響から8月末に登録を抹消され、1軍に戻れないまま戦力外通告を受けた。

 すでに42歳だったが、「肩さえ治れば、まだやれる」と現役続行を目指して右肩を手術。動けるようになると、母校・関学大のグラウンドの片隅を借り、孤独なトレーニングを開始した。筆者が以前、取材した際に、田口は当時の心境をこう語っている。

「僕は一人でコツコツやるのが好きなんで、モチベーションは下がらなかったですね。(精神的に)苦しいのは確かに苦しかったですけど、昔、高畠(導宏)さんというバッティングコーチに『あきらめたら終わりやからな』ってよく言われたことを思い出しながら、キャッチボールも一人で網や高いフェンスに向かって投げていました。小学3年生の子供が『一緒に走りたい』と言うから息抜きで連れていったり……。もうちょっと現役を続けて、子供にプレーする姿をちゃんと見せてあげたいなという気持ちもありましたね」

日付が変わるころ「辞めるわ」

 だが、同年の契約最終期限の7月31日が近づいてきても、どの球団からもオファーはない。代理人にも交渉を依頼するなど、打つべき手はすべて打っていたので、「あとは待つしかない」と腹を括った。

 そして最後の日。「もうゼロに近いのはわかっていたけど、日本のオフィスタイムはだいたい午後6時ぐらいまでなので、そこまで待とう」と6時まで待ちつづけたあと、日付が変わるころ、夫人に「辞めるわ」と告げた。

 9月6日の引退会見では、すでに気持ちの整理がついているつもりだったが、初めて「引退」という言葉を口にした瞬間、「ああ、もう後戻りできないんだなあ」と実感し、涙が溢れ出てきたという。その後、田口は16年にオリックス2軍監督に就任。現在は1軍外野守備・走塁コーチを務めている。

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