羽生善治九段がA級から陥落 井上慶太九段が明かした二十数年前の仰天エピソード

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コンピューター将棋の強さを「予見」

 飛ぶ鳥を落とす勢いだった羽生には、先輩棋士としての意地も見せた。「最初にA級に入った年、羽生さんと当たってなぜか私が勝ってしまったんです。西川慶二さん(八段 故人)にお祝いされて大阪で飲ませてもらったのですが、あんまり嬉しくて飲み過ぎて加古川に帰れなくなってしまい、朝方に西川さんと神戸の谷川さんのご自宅を訪問してしまいました」と振り返る。

「谷川さん」とはもちろん、谷川浩司九段のこと、同じ若松政和七段の門下同士の井上と谷川は非常に懇意で、二人で阪神タイガースの応援に行ったりしている仲だ。二人は現在B組2級で戦っている。

 その谷川を1996年の王将戦で羽生が破って、全冠(当時は七冠)を制覇した6日後、井上は羽生と「オールスター勝ち抜き戦」で対戦して破ったことがある。これは今なお、「羽生七冠を最初に破った棋士」として名が残る。

 谷川は14年度、ちょうど、羽生と同じくらいの年齢の時にA級から降級した。嬉しいはずはなかっただろうが、その直後に筆者の単独取材に快く応じてくれたことがある。その頃、筆者は「生真面目な谷川さんは多忙な連盟会長の仕事に全力で取り組んできていたので、会長職を降りて自己の将棋に専念できればすぐにA級に復帰するはずだ」と信じていた。しかしAI(人工知能)を駆使した若手棋士の台頭で「光速流」の天才棋士谷川といえども復帰は簡単ではないようだ。

 羽生について井上は「ものすごく頭が柔らかく,思考が柔軟ですね。まだまだ弱かった頃のAIも早くから研究していました」と話し、エピソードを紹介してくれた。

「二十数年前頃、コンピューター将棋が台頭してきましたが、まだまだ力量はアマチュア三段クラスくらいでした。その頃、全棋士たちにコンピューターに関する『将来、コンピューターはどこまで強くなるか?』といった内容のアンケートがありました。棋士たちはみんな『コンピューターはトップ棋士たちには絶対勝てない。勝てても50年は先』というような回答をしていましたね。ところが羽生さんだけは『2015年くらいに棋士を追い抜くだろう』と回答していたんです。振り返ってみればほとんどその通りになってしまいましたね。どうしてそんなことが予見できるのか。ほんとうに不思議です」と振り返る。

 一昨年11月の竜王戦で羽生が挑戦権を勝ち取って当時の豊島将之竜王に挑戦した時、京都の仁和寺での2局目の前夜祭の取材に行った。その時、羽生が関係者と会話しているのを傍で聞いていて、その優れた人柄を感じた。井上も「羽生さんは変に相手に気を遣いすぎることもない。本当に気さくで自然に対応できる。そういう雰囲気を持っておられますね」と語る。

「まだまだ若手に負けじ」とAIも深く研究している羽生は果たして、返り咲くことができるか。8大タイトルのうち七つはA級に在籍していなくてもトーナメントなどで挑戦権を勝ち取れるが、名人だけは在籍していなくては挑戦権も争えない。今、そのA級が目前なのが、藤井聡太四冠(19)だ。幼い頃の藤井聡太を指導した文本力雄さん(67)は「聡太には今、竜王の冠が付いているし、将棋の最高位は竜王と言われたりするけれども、個人的には将棋の最高位はなんといっても、名人だと思いますよ」と期待する。

 藤井聡太のA級昇級可否は3月に持ち越されたが、羽生と入れ替わればまさに時代を感じさせる今期となる。羽生は現在、通算タイトル期数がトップの99期である。(2位は大山の80期だが、大山時代とタイトル数が違うので単純比較はできない)。いずれにせよ、羽生にはファンから見てもまだそちらの大きな「宿題」も残っている。(敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮編集部

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