阪神・矢野監督が早くも退任表明…事実上、今季限りと決まっていた悲運の監督3人

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「球団からなしのつぶてで……」

 一方、事実上1年限りの“暫定監督”だったのが、69年に就任した阪神・後藤次男監督だ。1962、64年と2度のリーグ優勝をはたした藤本定義監督が68年のシーズン後、健康上の理由で電撃辞任したのが、すべての始まりだった。南海監督を辞任したばかりの鶴岡一人氏に新監督就任を断られた球団は11月19日、ヘッドコーチだった後藤の昇格を発表した。

「後藤君は阪神の生え抜きでもあり、内部事情に精通しているので、この際最適任」(戸沢一隆球団代表)と理由はもっともらしかったが、契約期間は1年。その裏で、球団はシーズン開幕後も“本命”鶴岡氏との交渉を水面下で続けていた。そんな屈辱的な状況のなか、後藤阪神は巨人と最後までV争いを演じ、2位でシーズンを終えた。

 だが、再び鶴岡氏に断られ、監督留任の可能性も浮上した矢先の11月14日、球団は「監督を若返らせて長期政権を図る」と方針を変え、エース・村山実をプレーイングマネジャーの形で新監督に就任させた。この間、秋季キャンプにも参加できず、宙ぶらりんの状態だった後藤監督は「球団からなしのつぶてで後味の悪い交代となったが、新監督の下、タイガースが強くなることだけを願っている」と素直に運命を受け入れた。

 温厚な性格から“クマさん”の愛称で親しまれた後藤監督は、78年にも吉田義男監督退任後のつなぎとして再起用されたが、球団史上初の最下位となり、これまた1年でクビになった。

成績を落としてリセットするのが狙い

 野球人生のみならず、自らの人生の最後の1年間でチームを指揮したのが、2005年のオリックス・仰木彬監督だ。近鉄とオリックスが合併し、「オリックス・バファローズ」として新たなスタートを切ると、かつて両チームの監督を務めた経験から、「最適任者」と見込まれ、再びユニホームを着ることになった。

 69歳での監督就任は歴代最年長(当時)。また、当時は公にされていなかったが、肺がんで闘病中だった。「要請を受けて以来、監督の激務をこなせるか考えた」末、「野球界への最後のご奉公や」と決意。「近鉄の“猛牛いてまえ野球”の伝統とオリックスの“がんばろうKOBE”の精神を継承したチームづくりこそ私の使命だと考えている」と力強く抱負を語った。

 シーズンが開幕すると、体調不良を感じさせないほど気丈に振る舞い、7月16日のロッテ戦で史上最年長の70歳2ヵ月の退場も記録している。リーグ4位でシーズンを終えると、体調面の不安を理由に続投要請を固辞して退任した。そして、約2ヵ月後の12月15日に惜しまれつつ他界。巨人を自由契約になった清原和博にオリックス移籍への道筋をつけたのが、“最後の仕事”となった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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