五輪開会式「イマジン」はブラックジョークか 現代中国の歴史は侵略の歴史
北京五輪の開会式では、ジョン・レノンの「イマジン」が流された。
国境、宗教、占有なんか無い、人類はひとつになれると想像してみよう――「平和」を訴える曲も、中国で流れた場合には、別の意味合いを持つかもしれない。
“国境、宗教、占有なんか無い”
国境、宗教、占有なんか無い、すべて中国の基準でひとつにできると想像してみよう――。そんなブラックジョーク的な含意があったわけではないだろうが、少なくとも現在の中国のふるまいが世界平和に貢献していると考える人は少ないのではないか。尖閣諸島、台湾海峡における脅威は高まりつつあるというのは多くの見方である。
しかし、実のところ中国は戦後一貫して、一方的に「国境」を外に拡張し続けてきた――そう指摘するのは有馬哲夫・早稲田大学教授である。有馬氏は、著書『歴史問題の正解』の中で、「現代中国の歴史は侵略の歴史である」という章(第9章)を設け、発掘資料などをもとに解説をしている。以下、その「歴史」を要約してみよう(引用はすべて同書より)。
極めて貪欲に侵略の手を伸ばす中国
日本人の多くは、中国(中華人民共和国)が建国直後にどのような動きを示していたかを知らない。有馬氏が、それを知るテキストとして挙げているのが2014年に公開されたダグラス・マッカーサー記念アーカイヴズ所蔵の「アメリカ極東軍司令部電報綴1949‐1952年」という文書だ。この文書はアメリカ国務省が各国から集めたアジア各地域についてのインテリジェンスを東京のアメリカ極東軍司令部に送った電報のつづりである。
「これを丹念に読み込み、情報を貼り合わせていくと、生まれて間もない中国が、極めて貪欲にアジアの周辺諸国に侵略の手を伸ばし、これらの国々の間に紛争を起こしていく姿が鮮明に浮かび上がってくる。日本を侵略国家として飽くことなく非難し続ける中国は、誕生の時から、いやその前から侵略に手を染め、他国の人民から土地を奪っていたのだ。
断っておくが、こういった軍事インテリジェンスは、外部に向けてのプロパガンダと違って、あくまでも内部で用いる情報であり、事実かどうかが重要なので、アメリカ側から出てきたものとはいえ信頼性は高い」
実際にはどういう動きだったか。1950年勃発した朝鮮戦争の際、朝鮮半島に約30万の軍隊を送ったことはよく知られているが、同時並行で他の地域にも侵攻を行っている。
「中国は朝鮮戦争とほぼ同時進行で、ベトナム北部に大軍を送り、ミャンマー(当時はビルマ、以下同)北部・タイ・ラオス・中国南部の国境地帯で領土拡張の浸透作戦を行い、台湾に侵攻するための艦船の供与をソ連に求めていた。
しかも、前年の49年にはすでにチベット東部を侵略していて、朝鮮戦争のさなかにも中央チベットまで侵攻し、チベット征服を完成させているのだ。まさしく貪欲そのものだ」
中国とソ連のアジア分割密約
「こういった中国の侵略的動きの全体を眺めてみると、朝鮮戦争への中国の参戦がこれまでとは違ったものに見えてくる。つまり、この参戦は、自衛というよりは、中国が周辺諸国に対して起こしていた一連の拡張主義的動きの一部だったと見ることができるということだ。事実この戦争のあと、中国はソ連に代わって北朝鮮の宗主国となる。
その後、中国はさらにベトナム、ラオス、ミャンマー、タイ、インドへとターゲットを変えつつ、侵略的動きを継続させていく。近年の西沙諸島や南沙諸島の島々の強奪、そして尖閣諸島への攻勢は、この延長線上にあるのだ」
なぜこのような拡張主義に走ったのか。その背景を示す電報を同書は示している。本国の国務省とアメリカ極東軍司令部(東京)間の1950年1月24日の電報にはこうある。
「(前略)中国の勢力圏のなかにおいては、ソ連はチベットを含む戦争において(中国に)特別な権利を認めることになっている。熱烈な親ソ派は、共産主義拡大のためには国境線など忘れるべきだとする。共産主義のために中国が提供すべきとされる兵力は500万に引き上げられた。30万人の中国人労働者がすでに満州からシベリアに送られており、さらに70万人が6カ月のうちに華北から送られることになっている。中国のあらゆる施設と炭鉱にソ連の技術者が受け入れられることになっている。ソ連式の集団的・機械的農業を夢見る熱烈な親ソ派は、農民がいなくなった耕作地と残された人々の飢餓を平然と眺めている」
つまり、こういうことだ。中国とソ連の間には密約が存在していた。中国は共産圏拡大のために500万人までの兵力を提供することを約束し、また100万人の労働者をシベリアに送る。引き換えにソ連の技術者を送ってもらい、領土の拡張をソ連に認めてもらう。
このプロジェクトの成功のためには、自国民がシベリアで苦しもうと、また飢餓が発生しようと仕方がない、というのが当時の中国のスタンスということになる。当時は大国だったソ連がお墨付きを与えたからこそ、生まれて間もない中国は、ここまで大胆な行動に出ることができたわけである。
当時、侵略の対象となったのは、いずれも日本の敗戦によって軍事的空白が生じた地域ばかり。日本人にとっての最大の関心事の一つは尖閣諸島だが、彼らの真の狙いは沖縄だと見たほうがいい、と有馬氏は警鐘を鳴らす。
「中国が沖縄にしきりにプロパガンダを流して日本から離反させようとしているところを見れば、長期的には尖閣諸島を含む沖縄がターゲットになっていると考えたほうがいい。
事実、71年10月の米中国交正常化交渉においても、周恩来はヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官に中国は沖縄に権利を持っているという見解を述べている」
北京五輪開幕直前、中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領は会談し、結束して西側諸国に対抗する立場をアピールした。「国境なんていらない」と考える人たちが世界には一定数いるということだろうか。