【袴田事件と世界一の姉】巌さんの縦縞パジャマに付いていた「血」を巡る異様な新聞報道

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消火作業中の怪我

 では、血液型や誰の血なのかは不明としても、なぜパジャマに血が付いていたのか。

 実は、巖さんは橋本専務宅の消火作業中、トタン屋根から滑り落ちて指を切り、右肩にも怪我をした。パジャマが切れていたのはそのためで、巖さんの肩には今も傷跡が残る。元ボクサーで運動神経に自信があって登っていたのだろうが、放水されているトタン屋根なら、めちゃめちゃに滑りやすい。現に捜査陣は、ゴミ箱から手当てに使った手ぬぐいの切れ端、ばんそうこう、脱脂綿、ガーゼを押収している。県警は怪我をしたことは認識しているが、そこから何が検出されたのかは明らかにしていない。

 捜査報告書は県警と警察庁の鑑定の差について「同一資料で本県はA、AB型と判定されたが、科警研では判定不可能であったのは、血液の最も多量に付着していた部分を本県で検査し、科警研で検査したのは血痕の付着量が少なく、検出限度以下であったため」と言い訳がましいことを書いている。

 凄惨な事件から数日経過した1966年7月5日付の新聞報道がある。

 朝日新聞は「捜査本部は血の付着具合から事件の際の返り血ではないと見ているが、念のために詳しく調べている」と慎重だが、静岡新聞は「某さんのパジャマの胸、前袖、ズボン前付近に多量の血痕が付着していたが事件と直接関係があるかどうか疑問」としている。毎日新聞は「4日夕の特別捜査本部の発表によるとパジャマには多量の血痕が付いており、作業着にも血痕が付いている 左手中指に切り傷 親指に擦過傷を負っている」としている。

 鑑定で血液型も分からないほど微量の「シミ」のどこが多量なのか。それがどんどん「血染めのパジャマ」などに変わってゆく。

 その後、静岡県警の「ちょうちん持ち」をもっとも端的に演じるのが毎日新聞だった。使い勝手のよい記者を利用する捜査機関は、あることないことリークして世間に「極悪人・袴田巖」との印象操作を図る。「夜回り」「朝駆け」で捜査幹部宅に通い、記者会見で出なかったような内容を書ける記者は新聞社内で「優れたスクープ記者」としてもてはやされる。これは今もさして変わらない。

 当時、ひで子さんは浜松市の「富士コーヒー」で経理の仕事をしていた。静岡新聞は「某さん」としていたが、他紙は巖さんのことを「H」として浮かび上がらせ、こがね味噌の社員たちにはすぐ巖さんとわかり畢竟、浜松のひで子さんやともさんにも伝わってゆく。(続く)

(追記)前回、ビートルズ来日を記したが大事なことを書き忘れた。山本徹美氏の取材によると、殺された橋本藤雄専務の二女・扶示子さん(享年17)は大のビートルズファンだった。橋本家は裕福で、「お嬢さん学校」と言われた静岡県庁近くにある中高一貫教育の「静岡英和女学院」に通っていて、友人二人とともに三人で7月3日の武道館公演に新幹線で駆け付けることを楽しみにしていた。チケット(4000円)を必死に手に入れ、服も靴もその日のために新調していたという。扶示子さんは世紀のコンサートの直前に若き命を絶たれてしまった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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